中牧昭二

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中牧 昭二
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プロフィール
リングネーム 中牧 昭二
本名 中牧 昭二
誕生日 (1956-03-06) 1956年3月6日(68歳)
出身地 長野県上田市
スポーツ歴 アメリカンフットボール
トレーナー 大仁田厚
デビュー 1992年5月31日
引退 2003年12月22日
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中牧 昭二(なかまき しょうじ、1956年3月6日 - )は、日本の元衆議院議員秘書、元プロレスラー長野県上田市出身。『さらば桑田真澄、さらばプロ野球』の著者として知られる。

経歴

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拓殖大学ではアメフト部に所属し、1979年に運動用具メーカーのカドヤスポーツに入社。販売促進課に勤務した。

1990年に出版した『さらば桑田真澄、さらばプロ野球』がベストセラーとなり、1990年の単行本・ノンフィクション部門で年間売上8位を記録した[1]

後にプロレスラーに転向するためSWSの入団テストを受けたが不合格となり、大仁田厚率いるFMWに入団。

1992年5月31日に、ターザン後藤戦でデビュー。その後はW★INGIWAジャパン大日本プロレスとインディー団体を転々とし、画鋲デスマッチ等の流血の多い激しい試合を展開した。

1997年1月4日には、新日本プロレスと大日本プロレスとの対抗戦において大日本の一員として新日本プロレス東京ドーム大会に参戦。ドームの大舞台で蝶野正洋と対戦を実現させ、蝶野がゴング前に中牧を花道で襲撃、当時のメジャー団体のリングでは無縁の有刺鉄線ボードを持ち込む契機を作り、また時間は短いながらも、中牧、蝶野の良さが互いに出た試合となり、ファン、関係者には評価が高かった[2]

その後、参議院議員になった大仁田の秘書となり、2003年12月22日にレスラーを引退した。

2019年、久しぶりに表舞台に姿を現し、現在は議員秘書を引退して芸能事務所の顧問をしていることを明らかにした。事務所に所属する双子のアイドルユニット「あすきょう」とともにプロレスリングZERO1などのリングにたびたび登場している[3][4]

2020年7月、プロレスリングZERO1を運営する株式会社ダイコーZERO1の監査役に就任。

入場テーマ曲

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映画出演

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脚注

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  1. ^ 東販調べ 1990年 年間ベストセラー - トーハン(2015年2月3日閲覧)
  2. ^ 当時の専門誌のドーム別冊は、この試合における蝶野の無礼さは逆に相手への敬意があってこそと書き、また試合後、満面の笑みで引き上げて行く中牧の姿を掲載している
  3. ^ “極悪大王”ミスター・ポーゴ三回忌イベントに中牧昭二氏ら”. スポーツ報知 (2019年6月24日). 2019年12月9日閲覧。
  4. ^ 高橋奈七永に強力助っ人 8・18爆破戦で双子アイドル「あすきょう」が応援団長に”. 東京スポーツ (2019年8月6日). 2019年12月9日閲覧。