井堀 (長久手市)
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井堀 | |
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北緯35度10分19.27秒 東経137度1分39.32秒 / 北緯35.1720194度 東経137.0275889度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 長久手市 |
人口 | |
• 合計 | 971人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 | 480-1143[WEB 2] |
市外局番 | 0561[WEB 3] |
ナンバープレート | 名古屋 |
地理
[編集]長久手市西部に位置する。西は熊田、南は名古屋市名東区猪高町大字上社井堀に、東は蟹原に、北は作田二丁目に接する。
河川
[編集]- 植田川(井堀川)
学区
[編集]長久手市立市が洞小学校・長久手市立南中学校を通学区域とする[WEB 4]。
歴史
[編集]地名の由来
[編集]地域一帯(現在の長久手市、名古屋市名東区)で用いられていた地名に由来する。かつて一帯にはため池が多く存在しており、豊富な湧水に由来する地名と思われる[1]。
沿革
[編集]- 1997年(平成9年) - 愛知郡長久手町大字長湫熊田、下井堀、上小井堀、下小井堀、下り坂の各一部により成立[2]。
- 2012年(平成24年)1月4日 - 市制施行に伴い、長久手市井堀となる[WEB 5]。
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口の推移。(2010年(平成22年)以前は愛知郡長久手町井堀)
2000年(平成12年)[WEB 6] | 1,208人 | ||
2005年(平成17年)[WEB 7] | 1,092人 | ||
2010年(平成22年)[WEB 8] | 1,000人 | ||
2015年(平成27年)[WEB 9] | 971人 |
世帯数の変遷
[編集]国勢調査による世帯数の推移。
2000年(平成12年)[WEB 6] | 462世帯 | ||
2005年(平成17年)[WEB 7] | 450世帯 | ||
2010年(平成22年)[WEB 8] | 448世帯 | ||
2015年(平成27年)[WEB 9] | 471世帯 |
施設
[編集]- 県営長久手住宅
交通
[編集]- 愛知県道60号名古屋長久手線(グリーンロード)
- 長久手西通り(長久手市の道路愛称名)[WEB 10]
その他
[編集]備考
[編集]前述の通り、井堀・小井堀は名古屋市と長久手市にまたがる地名であり、井堀のうち名古屋市と長久手市は井堀川で分けられる[注釈 1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]WEB
[編集]- ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ a b “郵便番号検索”. 日本郵便. 2021年9月3日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧” (PDF). 総務省. 2021年9月13日閲覧。
- ^ 長久手市立小中学校学区図 (PDF)
- ^ “愛知県愛知郡長久手町の郵便番号一覧”. 日本郵便. 2024年7月26日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 道路の愛称(長久手市)
書籍
[編集]- ^ 長久手町史編さん委員会 1990, p. 529.
- ^ 小林元 2002, p. 8,11–15.
参考文献
[編集]- 長久手町史編さん委員会 編『長久手町史 資料編四 民俗・言語』長久手町役場、1990年。
- 小林元『長久手の地名 総集編』長久手町役場、2002年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、井堀 (長久手市)に関するカテゴリがあります。
作田 | ||||
熊田 | ||||
井堀 | ||||
名古屋市名東区猪高町大字上社字井堀 |