伊達政依

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伊達政依
時代 鎌倉時代中期
生誕 安貞元年(1227年
死没 正安3年7月9日1301年8月13日
改名 政依→入道願西
別名 伊達次郎、粟野蔵人
諡号 願西公
戒名 東昌寺殿覚印願西大居士
墓所 宮城県仙台市東昌寺
官位 従五位下蔵人大夫
幕府 鎌倉幕府
氏族 伊達氏
父母 父:伊達義広
宗綱桑折親長白石宗弘
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伊達 政依(だて まさより)は、鎌倉時代中期の御家人仮名は伊達次郎、粟野蔵人。官位従五位下・蔵人大夫。伊達氏4代当主。陸奥国梁川城主。

概要[編集]

伊達義広の次子で、子に宗綱親長[1](桑折氏祖)、白石宗弘白石長俊の養嗣子)がいる。建治元年(1275年)『造六条八幡新宮用途支配事』[2]によれば伊達氏は鎌倉に起居していたことが分かる。剃髪した後は入道願西と号した。戒名は東昌寺殿覚印願西大居士。

仏教の信仰が深く、京都五山鎌倉五山に倣って、東昌寺・光明寺・満勝寺・観音寺・光福寺を創建し、伊達五山(現在の北山五山)とした。東昌寺は伊達家最初の菩提寺である。

主な功績[要出典][編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『吾妻鏡』正嘉元年(1257)十月大一日壬午条。「御布施取(略)伊達左衛門藏人親長」
  2. ^ 国立歴史民俗博物館所蔵、『寒河江市史 大江氏ならびに関係史料』p.390

関連作品[編集]