伏見宮邦房親王
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伏見宮邦房親王 | |
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伏見宮 | |
続柄 | |
称号 | 桂昌院 |
身位 | 親王 |
敬称 | 殿下 |
出生 | 永禄9年4月4日(1566年4月23日) |
死去 | 元和7年11月25日(1622年1月6日) |
子女 | 伏見宮貞清親王 |
父親 | 伏見宮貞康親王 |
母親 | 家女房(飛鳥井雅房娘?) |
役職 | 中務卿・式部卿 |
サイン |
伏見宮邦房親王(ふしみのみや くにのぶしんのう)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての皇族。中務卿。世襲親王家の伏見宮第9代当主。貞康親王の子。正親町天皇の猶子。初名は邦良(くにざね)、法号は桂昌院[1]。
生涯
[編集]永禄9年(1566年)に伏見宮貞康親王の子として誕生する。天正3年(1575年)2月21日に親王宣下を受け、天正6年12月17日に元服し、中務卿及び式部卿に任命され、二品となった[1]。
系譜
[編集]- 家女房
- 第一王子:貞清親王(1596-1654) - 第10代伏見宮
- 生母未詳
- 良嶽聖久(?-1631)
- 高秀尊覚(慈照院、1615-1693)