佐々木弘綱

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佐々木 弘綱
人物情報
生誕 (1828-08-26) 1828年8月26日
日本の旗 日本三重県
死没 1891年6月25日(1891-06-25)(62歳)
子供 佐佐木信綱(国学者・歌人)、印東昌綱(国学者・歌人)
学問
研究分野 国学
研究機関 帝国大学
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佐々木 弘綱[1](ささき ひろつな、1828年8月26日文政11年7月16日)‐ 1891年明治24年)6月25日)は、幕末から明治時代にかけて活躍した国学者歌人。号は鈴山、竹柏園など。

経歴[編集]

文政11年(1828年)、佐々木徳綱[2]の子として伊勢に生まれた。学者の家系であったため、若くして1000首の和歌を詠んだといわれている。このことがきっかけで、後に足代弘訓井上文雄梶原昭豊の門人となり、和歌や国学を学んだ。また、山崎元庵の門人にもなり、蘭学についても学んだ。師の井上文雄や同時期に活躍した同じ歌人の八田知紀と共に、幕末の動乱期における著名な歌人として知られるようになる。

維新後の1882年(明治15年)、帝国大学文科大学古典講習科(現在の東京大学文学部)が創設されると同学科の教授となり、古典など国学を教授した。

研究内容・業績[編集]

家族・親族[編集]

  • 長男:佐佐木信綱は同じく国学者で歌人。
  • 次男:印東昌綱(1877~1944年)も国学者で歌人。22歳の時に印東家を継いだ。

著作[編集]

歌集[編集]

  • 『日本歌学全書』‐ 『万葉集』など古来の歌集を初めて活字にした著作。執筆中に死去したため、長男の信綱が刊行した。

著書[編集]

その他、代表的な古典文学作品を元にした著書が刊行されている。

出典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 姓は「佐佐木」とも表記される。
  2. ^ 医師、歌人である佐々木利綱の子。
  3. ^ 奈良女子大学・資料紹介