佐味伊与麻呂

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佐味 伊与麻呂(さみ の いよまろ、生没年不詳)は、奈良時代貴族朝臣官位従五位下豊前守

経歴[編集]

孝謙朝末の天平宝字5年(761年従五位下叙爵する。

淳仁朝では授刀大尉を務め、天平宝字6年(762年左右京尹藤原訓儒麻呂文部大輔中臣清麻呂右勇士率上道正道らとともに中宮院(淳仁天皇の御在所)に侍し、勅旨の宣布・伝達を命じられている[1]。なお、この時の4人のうち、中臣清麻呂を除く3人は藤原仲麻呂派の貴族である。

天平宝字8年(764年)正月に豊前守に任じられるが、同年8月に発生した藤原仲麻呂の乱における動勢は不明。なお、天平神護2年(766年)3月になって豊前守は海上清水が任ぜられている[2]

官歴[編集]

続日本紀』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『続日本紀』天平宝字6年8月11日条
  2. ^ 『続日本紀』天平神護2年3月26日条

参考文献[編集]