佐多岬灯台
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佐多岬灯台 | |
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航路標識番号 [国際標識番号] | 6701 [M4836] |
位置 | 北緯30度59分32秒 東経130度39分34秒 / 北緯30.99222度 東経130.65944度座標: 北緯30度59分32秒 東経130度39分34秒 / 北緯30.99222度 東経130.65944度 |
所在地 | 鹿児島県肝属郡南大隅町佐多馬籠字岬417 |
塗色・構造 | 白色 塔形 コンクリート造 |
レンズ | 第3等大型フレネル式 |
灯質 | 群閃白光 毎16秒に2閃光 |
実効光度 | 400,000 cd |
光達距離 | 21.5海里(約39km) |
明弧 | 242度から150度まで |
塔高 | 12.6 m (地上 - 塔頂) |
灯火標高 | 68 m (平均海面 - 灯火) |
初点灯 | 1871年(明治4年)10月18日 |
管轄 | 海上保安庁 第十管区海上保安本部 |
佐多岬灯台(さたみさきとうだい)は、鹿児島県大隅半島の先端にある佐多岬の沖、大輪島の断崖上に立つ、白亜の大型灯台で、「日本の灯台50選」にも選ばれている。また、この岬は九州の最南端にあり、日本本土最南端と記した標柱も立てられ、周辺は、霧島錦江湾国立公園に含まれ、太平洋を望む景勝地。
歴史
[編集]- 1866年(慶応2年)5月 - アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と結んだ「改税条約」(別名、江戸条約)によって建設することを約束した8ヶ所の灯台(観音埼、野島埼、樫野埼、神子元島、剱埼、伊王島、佐多岬、潮岬)の一つ。これらを条約灯台とも呼ぶ。
- 1871年11月30日(明治4年10月18日) - 完成、初点灯[1]。日本の「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンが設計・指導した鉄造灯台だった。
- 1945年(昭和20年)3月18日 - 太平洋戦争の攻撃で破壊される。
- 1950年(昭和25年)5月 - コンクリート造で、再建された。
- 1952年(昭和27年)1月23日 - 電化される。
- 1954年(昭和29年)、日本各地で核実験由来の放射性物質を含む降雨。飲料水を天水に頼っていた灯台関係者に放射線障害が出る[2]。
- 1980年(昭和55年)4月24日 - 無線方位信号所(レーマークビーコン)が設置される。
- 1985年(昭和60年)2月21日 - 無人化される。
- 2008年(平成8年)4月10日 - 無線方位信号所(レーマークビーコン)廃止[3]。
周辺施設
[編集]- 佐多岬展望公園
- 御崎神社
脚注
[編集]- ^ “法令全書. 明治4年”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月17日閲覧。
- ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、98-99頁。ISBN 9784816922749。
- ^ “無線方位信号所(レーマークビーコン)の廃止について” (PDF). 海上保安庁交通部 (2007年1月24日). 2013年11月17日閲覧。