佐藤業連

ウィキペディアから無料の百科事典

 
佐藤業連
時代 鎌倉時代
生誕 不明
死没 弘安10年4月4日1287年5月17日
別名 通称:民部次郎、中務丞
官位 民部大丞加賀権守
幕府 鎌倉幕府
主君 北条時宗
氏族 佐藤氏
父母 父:佐藤業時
テンプレートを表示

佐藤 業連(さとう なりつら)は、鎌倉時代中期の武士北条氏得宗家被官である御内人

北条時宗の側近。御内人として平頼綱らと共に時宗を補佐する。寺社奉行等を担当した後、建治2年(1276年)4月には評定衆に就任する。翌3年(1277年)には寄合衆に任じられ幕政の中枢を担う。弘安3年(1280年)には民部少丞・同民部大丞を任官。同6年(1283年)、加賀権守に任じられた。

弘安10年(1287年)、4月4日死去。

参考文献[編集]

  • 『鎌倉政権得宗専制論』(細川重男著 吉川弘文館、2000年)
  • 『関東評定衆伝』(「群書類従 補任部」 続群書類従完成会、1960年)