佐藤策次
ウィキペディアから無料の百科事典
佐藤 策次(さとう さくじ、1905年(明治38年)12月1日[1] - 1997年(平成9年)4月15日[1])は、日本の政治家。新潟県直江津市(現・上越市)長(3期)[2]。
経歴
[編集]新潟県中頸城郡直江津町(のち直江津市、現・上越市)出身[1]。東京高等師範学校臨時教員養成所卒[1]。旧制新潟県立高田中学校(現新潟県立高田高等学校)の教諭と教頭を務める[1]。戦後、新制直江津町立直江津中学校(のち直江津市立直江津中学校、現上越市立直江津中学校)校長となる[1]。1962年直江津市長に当選[1]。高田市と合併するまで市長を3期務めた[2]。在職中、高田市との合併が起こり、合併の方向で話を進め、1971年に上越市が発足した。
合併後は上越市助役となり[3]、1973年まで務めた[3]。
1997年死去。このほか新潟県社会教育協会副会長、直江津海洋少年団団長、直江津捕虜収容所の平和友好記念像を建てる会会長なども務めた[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『現代物故者事典 1997~1999』日外アソシエーツ、2000年。
- 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。