侠友会
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設立者 | 寺岡 修 |
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本部 | 兵庫県淡路市 |
首領 | 寺岡 修 |
活動期間 | 昭和40年代〜令和4年 |
構成員数 (推定) | 約50名 |
友好組織 | 俠道会 |
敵対組織 | 神戸山口組 |
俠友会(きょうゆうかい)は、兵庫県淡路市に本部を置き、兵庫県洲本市に本家を置く暴力団。かつては特定抗争指定暴力団・神戸山口組の有力団体だった。
略歴
[編集]寺岡修によって、三代目山口組系二代目細田組の傘下にて結成される。なお、寺岡はこの後二代目細田組若頭補佐に就任している。
- 1983年(昭和58年)
- 7月、二代目細田組が解散すると、寺岡が同じ山口組系列の西脇組に舎弟として移籍し、準じて俠友会は西脇組傘下となる。
- 1992年(平成4年)
- 2月、五代目山口組の二次団体(直系団体)に昇格し、寺岡は山口組組長秘書に就任。
- 2005年(平成17年)
- 7月、山口組が六代目体制に移行すると、寺岡は山口組の執行部(最高幹部)にあたる若頭補佐に就任。
- 2012年(平成24年)
- 11月、寺岡は体調不良を理由とし、若頭補佐を退任し舎弟に就任。
- 2015年(平成27年)
- 8月26日、寺岡は俠友会を率いて山健組組長・井上邦雄や宅見組組長・入江禎らと共に六代目山口組を離脱。
- 同月27日、前日に離脱した13団体で新団体・神戸山口組を結成し[1]、寺岡は神戸山口組若頭に就任[2][3]。
- 10月22日、兵庫県警は、電磁的公正証書原本不実記録・同供用の容疑で、寺岡を逮捕した[2][3]。
- 11月11日、明石区検は、電磁的公正証書原本不実記録・同供用罪で、寺岡を略式起訴した[4][5]。
- 2022年(令和4年)
- 8月22日、寺岡は俠友会を率いて、同じく神戸山口組最高幹部である徳誠会会長・大瀧一門と共に神戸山口組を脱退し、独立する。なお、先に脱退した池田組と異なり神戸山口組や絆會とは距離を置いた。
- 12月20日、寺岡は神奈川県内の稲川会の稲川会館を訪問。同会会長である内堀和也会長の仲裁のもと、六代目山口組若頭である高山清司に謝罪を入れ、引退を報告。その後、兵庫県警察には侠友会の解散届が出された[6]。
本部事務所の変遷
[編集]- 2017年10月25日、淡路市に置いていた本部事務所を閉鎖した。これは2015年の神戸山口組の設立以降、神戸山口組総本部としての用途も兼ねていた関係で、抗争の激化を不安視した住民から反発を受けたことに起因する[7]。これを受け神戸山口組は、総本部機能を神戸市中央区に移している。
- 2021年12月、淡路市が、市内にあった俠友会本部事務所(上述)を3,000万円で買い上げる意向を公表した[8]。2022年1月、買い上げが実施されたことにより兵庫県公安委員会は淡路市を「警戒区域」から解除した[9]。
- 2022年6月現在、明確な本部事務所は確認されていない。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 『神戸山口組と住吉会有力団体が共闘か 結成式に「幸平一家」総長が出席で急展開』 2015年9月8日 ZAKZAK
- ^ a b 『神戸山口組の最高幹部を逮捕 虚偽の自動車登録疑い』 2015年10月23日 日本経済新聞
- ^ a b 『神戸山口組の最高幹部逮捕 自動車の虚偽登録容疑 兵庫県警』 2015年11月2日 神戸新聞NEXT
- ^ “神戸山口組の若頭を略式起訴”. 産経ニュース. (2015年11月12日)
- ^ 『神戸山口組若頭罰金の略式命令 明石簡裁』 2015年11月12日 神戸新聞NEXT
- ^ “容赦ない「六代目山口組」、背水の陣の「神戸山口組」…“最終戦争”で何が起きているのか”. 週刊文春オンライン (2023年1月3日). 2023年1月4日閲覧。
- ^ “【山口組分裂】本部事務所を閉鎖か、神戸山口組 住民代理訴訟受け”. 産経ニュース. (2017年10月30日) 2022年6月18日閲覧。
- ^ “神戸山口組の元本部、淡路市が約3千万円で購入へ 組側とも合意 :朝日新聞デジタル”. 朝日新聞. (2021年12月1日) 2022年6月18日閲覧。
- ^ “特定抗争の「警戒区域」淡路市を解除 市が事務所買い取り 県公安委|総合|神戸新聞NEXT”. 神戸新聞. (2022年1月27日) 2022年6月18日閲覧。
参考文献
[編集]- 『溝口敦氏が緊急リポート 「神戸山口組」これが人事一覧と掟だ』 2015年9月8日 日刊ゲンダイ