信国重包

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信国重包(のぶくに しげかね、生年不詳 - 享保13年12月10日1729年1月9日))は、筑前信国派中で最も著名な江戸時代の刀工。字:助左衛門、助六。銘:重包、正包、原田。戒名:撥塵如釼居士[1][2]

系譜

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十四代信国助左衛門吉包(信国吉包)の子。享保6年(1721年)正月、将軍徳川吉宗は江戸「浜御殿」で鍛刀競技を開催した(277名)。重包は「若狭正宗」、「不動国行」写しを鍛刀し4名の名人に選ばれ「葵一葉」を中心(なかご)に刻む事を許された(他の3人は、薩摩の一平安代主水正正清南紀重国[3]

帰国後、城代組に加えられ十五石五人扶持[4]

享保13年(1728年)12月10日病没[5]

特徴

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反り浅く、平肉多く、重量感があり、沸本位の華やかな大乱れ、砂流しのある相州伝。

作品

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刀「筑州住源信国重包」(福岡市博物館蔵)画像[6]ほか

脚註

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  1. ^ 『長政公御入国ヨリ二百年町家由緒記』福岡県立図書館蔵)
  2. ^ 安国寺過去帳
  3. ^ 『黒田新続家譜巻之二十一.継高記ニ』p.50-54
  4. ^ 『長野日記.下, p.222-224(秀村選三編『近世福岡博多史料第一集』.-- 福岡市 : 西日本文化協会発行, 1981.所収)
  5. ^ 『長野日記.下, p.326(秀村選三編『近世福岡博多史料第一集』.-- 福岡市 : 西日本文化協会発行, 1981.所収)
  6. ^ 「よみがえる名刀 赤羽刀展」FACATA(福岡市博物館だより) No.41 http://museum.city.fukuoka.jp/jg/html/jg_fr3_41.html

関連事項

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