児島小川駅

ウィキペディアから無料の百科事典

児島小川駅*
  • 駅跡(2020年3月)
  • (模擬駅名標の隣駅名は児島駅の旧称「あじの」である)
こじまおがわ
KOJIMAOGAWA
児島 (1.4** km)
(0.9 km) 柳田
地図
岡山県倉敷市児島小川七丁目
北緯34度28分52.3秒 東経133度47分59.2秒 / 北緯34.481194度 東経133.799778度 / 34.481194; 133.799778座標: 北緯34度28分52.3秒 東経133度47分59.2秒 / 北緯34.481194度 東経133.799778度 / 34.481194; 133.799778
所属事業者 下津井電鉄
所属路線 下津井電鉄線
キロ程 7.9 km(下津井起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1913年大正2年)11月11日
廃止年月日 1972年昭和47年)4月1日
乗換 路線廃止に伴う廃駅
  • * 1914年に小田駅から小田村駅に改称。
  • ** 1931年に小田村駅から児島小川駅に改称。当駅廃止時の児島駅は1991年全線廃止時よりも0.2 km茶屋町寄りにあった。
テンプレートを表示

児島小川駅(こじまおがわえき)は、かつて岡山県倉敷市児島小川七丁目に存在した下津井電鉄下津井電鉄線廃駅)。混合列車による貨物取り扱いも行っていた。

モータリゼーションの進行による乗客の減少により、1972年昭和47年)4月1日茶屋町 - 児島間の区間廃止に伴い、廃止された。

歴史

[編集]
  • 1913年大正2年)11月11日茶屋町 - 味野町(後の児島)間が開業。同時に小田駅として開業する。
  • 1914年(大正3年)4月1日鉄道院と連帯輸送契約の締結に合わせて小田村駅(をだむら)と改称される[1][2]
  • 1917年(大正6年)10月31日届出:駅員常置を廃止し、乗車券販売を近くの運送店主に委託。貨物は味野町管理となる[2]
  • 1924年(大正13年)9月18日届出:行き違い可能駅となり、相対式ホーム場内信号機を設置[2]
  • 1928年昭和3年)11月1日:小田村が児島町と改称し、所在地表示が岡山県児島郡児島町大字小川となる[3]
  • 1931年(昭和6年):児島小川駅と改称される。
  • 1948年(昭和23年)4月1日:児島市成立に伴い、所在地表示が岡山県児島市小川となる[4]
  • 1967年(昭和42年)2月1日:倉敷市(第2次)成立に伴い、所在地表示が岡山県倉敷市児島小川町となる[4]
  • 1968年(昭和43年)
    • 列車行き違い設備を廃止[2]
    • 住居表示の実施により、所在地表示が現行のものになる[5][6]
  • 1972年(昭和47年)4月1日:茶屋町 - 児島間が廃止される。それに伴い、児島小川駅も廃止となる。
  • 1974年(昭和49年)11月:倉敷市による茶屋町 - 児島間の自転車道の整備が完成する。

駅構造

[編集]

相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。上りホーム側に駅本屋を、下りホーム側に貨物側線を有していた[2]

のりば

[編集]
のりば 路線 方向 行先
1 下津井電鉄線 上り 茶屋町方面
2 下り 児島下津井方面

廃止後

[編集]
  • 廃止区間(茶屋町 - 児島)は、自転車専用道として整備されている。
  • 跡地は住宅地となっており、痕跡は無い。
  • 2019年2月に「吉備の児島陸続き400年・瀬戸大橋開通30周年記念事業」実行委員会によって模擬駅名標が設置された[7]

隣の駅

[編集]
下津井電鉄
下津井電鉄線
児島駅 - 児島小川駅 - 柳田駅

脚注

[編集]
  1. ^ 「停留場改称」『官報』1914年3月31日(国立国会図書館デジタル化資料)
  2. ^ a b c d e 下津井電鉄 : 瀬戸大橋開通後に姿を消したナローゲージ鉄道 下 13・14頁(寺田裕一ネコ・パブリッシング
  3. ^ 下津井電鉄 : 瀬戸大橋開通後に姿を消したナローゲージ鉄道 上 12頁(寺田裕一、ネコ・パブリッシング)
  4. ^ a b 角川日本地名大辞典 岡山県「小川(近代)」
  5. ^ 角川日本地名大辞典 岡山県「小川町(近代)」
  6. ^ 住居表示実施区域一覧表倉敷市役所市民生活部市民課)
  7. ^ 吉備の児島陸続き400年・瀬戸大橋開通30周年記念事業のご紹介(児島商工会議所)

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]