内藤政吉
ウィキペディアから無料の百科事典
時代 | 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 天正16年(1588年) |
死没 | 万治2年5月26日(1659年7月15日) |
別名 | 甚次郎、仁兵衛、甚之丞(通称)、内藤正吉 |
幕府 | 江戸幕府書院番 |
主君 | 徳川秀忠→徳川忠長 |
藩 | 駿府藩附属家臣(徳川忠長の傅役) |
氏族 | 内藤氏 |
父母 | 父:忠政 |
兄弟 | 内藤清成、内藤忠重、内藤政吉、内藤政次 |
子 | 内藤政季 |
天正16年(1588年)、内藤忠政の三男として生まれる。慶長12年(1607年)、徳川秀忠に拝謁し書院番となり、のちに徳川忠長の傅役となる。
寛永6年(1629年)12月28日、布衣を許される。寛永9年(1633年)、忠長が改易となると秋田俊季に預けられ、寛永17年(1640年)12月10日から兄の忠重の預かりとなる。のちに許された。