内藤清行 ウィキペディアから無料の百科事典 凡例内藤清行時代 江戸時代中期生誕 元禄2年(1689年)死没 正徳3年1月16日(1713年2月10日)官位 従五位下若狭守藩 信濃高遠藩世嗣氏族 米津氏、内藤氏父母 米津田賢、永井尚春娘内藤清枚兄弟 米津田岡、米津田和、清行らテンプレートを表示 内藤 清行(ないとう きよゆき)は、江戸時代中期の信濃国高遠藩の世嗣。官位は従五位下・若狭守。 略歴[編集] 元禄2年(1689年)、大身旗本・米津田賢の三男として誕生した。 元禄16年(1703年)、信濃高遠藩初代藩主・内藤清枚の養子・長頼が廃嫡されたため、代わって養子となる。宝永元年(1704年)、叙任される。 正徳3年(1713年)、家督を相続することなく早世した。代わって、清枚の長男・頼卿が世嗣となった。