利用者:Nukkie

ウィキペディアから無料の百科事典

Nukkieは、取り敢えず自称人間の生命体。ヲタクの部類かもしれない。いやきっとそうだ。

あまり活動してませんでしたが最近は活動再開しています。明白な誤字脱字や、更新頻度が低く情報の古い記事への最新情報加筆が中心です。

以下昔の記述ですが残しておきます。

中国南北朝史・ライトノベル・鉄道・大相撲という相互に全く連関性のない辺りが加筆の中心です。

……利用者ページ長いよ私。

概要

Wikipedia:バベル
ja この利用者は日本語母語としています。
zh-1
該用戶能以簡單中文進行交流。
该用户能以简单中文进行交流。
en-1
This user is able to contribute with a basic level of English.
播州弁この利用者は播州弁浜手亜種を母語にしてんねん。方言バベル

2005年3月7日アカウント取得。それ以前にも数回IP編集あり。アカウント取得後もログイン忘れでIPで編集しているケースはありますが特定できず。

専門分野はライトノベル日本史中国史(特に魏晋南北朝時代)関連、あと最近は大相撲関連もいじってます。

最近は新規の記事投稿や大きな加筆はほとんどありません。いち利用者として気付いた誤植とか文章の推敲、細かい事実誤認の草取りが中心。雑多な箇条書きとか何とかの注意テンプレが付いている記事がかなり嫌いで、見てると鬱陶しくなるので適当に加筆して除去したりしてます。言葉は悪いけどいいことしているはずだ。たぶん(笑)       

敢えて言ってしまえば、今のWikipediaの方針の全てが私にとって納得のいくものではないです。それは公共の場である以上仕方がないし、多分100%全てが自分の理念と一致する人は数少ないと思います。多数の人間が参加する場だから仕方がない。その中で自分が折り合いを付けて編集していくしかないですし、少なくとも3年間でそこが衝突したことはない。強いて言えば「!」は全角の方がよく使われるし少なくとも私はわざわざ!だけ半角にしないし、リダイレクト消さなくても……というぐらいでしょうか?(苦笑)

何かあればノートに。どうでもいい雑談も大好きです。

思い付いたことを書いていたらこの記事がどんどん肥大中。

最近の疑問点

性急な立項について腫れ物を触るような現状はどうなんだろうと。

もちろん予定事象を何でもかんでも記事にされるのは困ったものだと思いますが、ここ最近のWikipediaの流れを見ている限り、ある程度トピックとなりそうな場合までまるで腫れ物を触れるような状況になってますし……。

正直、この辺りの扱いについては個人的に違和感を持っているのは事実。常にUptoDateな情報に出来るのがWikipediaのメリットでもあり……。肥大化に伴い動きが鈍くなるのは仕方がないことではあるのですが。実際速報的な更新が多すぎるケースも多いし。うーん。

過剰反応じゃないか、と思いつつ。自分が当事者になれば問題提起したい気もしますが、今のところは保留。

最近すごく気になること

「Wikipedia記事の記載事項の一般化」が最近気になるのです。――現在Wikipediaは情報の参照元として信頼される地位を得ており、一般の方がネットで検索したときにはWikipediaの記述を引用して「こういうことらしい」と一般的な定説のように語られるケースが非常に多いです。

ところが、実際にはWikipediaはそこまでのものじゃない。

一つには、編集する人間が限られている点。そもそもいちいちWikipedia全体の編集の動向を見るのは不可能ですから、一部の大きな議論になった問題と本人が「専門だ」と思っている問題以外は、自分が異論を持っていてもその議論自体を発見することが出来ない。

もう一つ、「他人の意見を消すことが難しい」点。明らかに間違っているわけではないけど「ちょっと違うんじゃないかな」とか「この記述は間違ってはいないがいまいちだ」と思っても、他人の文章を消してリライトするまで踏み込むことは難しいと思うのです。いちばん大変なのは「極端な異説、もしくは少数説」だと認識しても、自分の意見もまた多数説か自信が無いケース。これはどうしようもない。 自信がない場合はノートに書き残したりするのですが、そもそもこのノートに反応があること自体が稀です。

これは肥大化したwikiが持つ構造上での欠点ではあるのですが――その結果として、従来は「いくつかある説の一つでしかなかった」内容が、初版投稿者によって書かれ、そしてその後にその再検討がされなかった結果、さも圧倒的な多数説であるかのようにネット上で語られる傾向があります。一例を挙げると坊主めくり三名城などは、そのような「特定説」への過度の偏りに気付いて、複数説の列挙の形に修正したケースです(正直、特に坊主めくりはいくらなんでも極端だったと思うのですが……)。多分こういう「間違いではないが不適当な」記事をいかに修正していくかがwikiの最大の課題であり、そして限界なのでしょうね。

まだ私も西晋八王の記事が未投稿など結構新規記事の課題は残してますが、現実には既にメジャーな内容の大抵は投稿されてはいると思うのです。私が参加し始めた頃は記事をどんどん書く人が尊敬されていた風潮があったと思うのですが、これから必要なのはむしろ、そういう草取りを地道に丹念に出来る人なんじゃないかと思います。一人の上手な記事投稿者より、100人の利用者の立場で細かい草取りができる人間。

背伸びしようとする人間が(特に若年者で)いることの問題はWikiである以上介在する問題ですが、「誰でも参加できる」ことはもう少し積極的に捉えてもいいと思う。多数の人間がちょっとずつ力を出すからWikipediaはより良くなるし、例えば文章の細かい修正とか草取りは何人いてもいすぎることはないです。あるいは小学生でも出来るでしょう。

そういう草取り屋さんの一人でありたい。

編集方針一般論

基本的なこと

  • 気が付いた範囲で細かい記述を追加したり誤植直しをしたりが中心。背伸びしても仕方がないので自分に出来ることから。
  • 無理はしない。でも勇気を持って果敢に書くことも必要。
  • 大きく変更すべきかの判断に迷った場合はなるべく現状尊重の方針でやっています。その代わりノートにメモを残すとか。
  • 大きな仕事をする人も大事だけど、小さなゴミをこつこつ拾うのがウィキペディアンの一番大事な仕事だと思う。どんなにすごい人でもミスはするから。……でも、大きな仕事を出来る人は本当に尊敬します。
  • ライトノベルの作家とかレーベルの記事を単なる作品一覧にはしたくないのですが……。
  • それにしても中立的な観点を守ることって難しいよね。

新しい記事の立て方

  • 「積極的にスタブを立てること」を意識すべきだと思います。――正直、人情として一から記事を書くのは非常に面倒ですが、一度記事を立てるとちょっとずつ加筆してくれることが多いです。定義文一行では困りますが、立派な記事を書こうと思って書かないよりは、基本的なことを押さえただけのスタブでもいいから記事を起こす。それで意外と育つものだと思ってます。
  • ただし、骨組みがしっかりしていること――つまりは「スムーズに加筆できるスタブ」であることは必要でしょう。
  • 私自身は新記事を書くときによく「叩き台」という表現をしています。最低限記事が育つための土と種を準備して、まぁせいぜいふたばぐらいまで育てて――あとは、徐々に成長していくのを待つばかりです。

中立性

  • 中立的な観点、というのは百科事典における最も重要な観点ではある。ただ、同時に百科事典は字引ではない以上、そこには何らかの形での、事実列挙から一歩踏み込んだ解説があることが望ましいのではないかと思う。しかし、それは同時に、中立的な観点を離れて書き手の主観が僅かなりとも入ってしまう蓋然性も高くする。
  • 自分自身、どこまで踏み込んで良いのかは分からないし、どこかで逸脱している危険性は感じつつもやっていくしかないのだろう。
  • 万人に共通の真実なんて少ない。そして、「中立性」の枠の中でどこまで踏み込んだものを書けるかが腕前の見せ所ではないかな、と。

通俗性?

  • 専門性と通俗性のバランスの問題。特に人物に関するエピソードとか、そのようなものをどこまで踏み込んで書けばいいのか。例えば、「車胤」の記事を書くためには、蛍の光で勉強したというエピソードは不可欠だろう。しかしこれは伝承であり、史実としては当てにならない。そのバランスをどこに置くべきかは難しい。
  • でもまぁ、どちらにしても大胆に書いて他の人の修正を待つ方が正しい態度なのかもしれない。
  • 単なる辞書だけでなく、記事を読んだ人がその分野に関心を持ってもらえる文章を書きたい。情報が多ければいいとは限らないから。
  • あと、普通の百科事典で書けない切り口から記事が書けるのがWikipediaの良さでしょう。例えば卵かけご飯とか、普通の百科事典ではまず書けない記事。こういう「こんな切り口から書けたのか」という記事を書きたいと最近はよく願います。自分で書いた「蛍の光」も可能ならそこまで育てたいけど道は遠い。

他人の文章を消すこと

  • Wikipediaの一つの難点は、先に書いた人の文章がどんなものであっても尊重されがちな事だと思う。
  • もちろん、明白に誤っているとかなら直せばいいんだけど。でも、「正しいけど構成とか文章とかがなぁ……」と思ったとき、それを敢えて消して直すのは難しい。「自分の方が優れている」と自信をもって言えることは少ない以上、たいていの場合「イマイチだな」と思っても直せない。
  • それをどうすればいいのかまだ考え中。
  • 自戒。特に見出しとか記事配列とかを自分勝手にいじって整合性を崩さないこと。

悩みの種。

あちこち編集してると徐々に「この方がいいかな」と思うパターンが出てくる。しかしそれを試しているとテンプレが不統一になってしまう。どうすればいいんだろう?

中国皇帝記事のいろいろ

  • 中国南北朝期の南朝皇帝の記事に関してはかなり手がけてます。この手の記事は事跡が少ない人でもきちんと揃えることだけで意味があると思いますので……。書きやすい事跡の少ない皇帝ばかり先行してるとかばらしてるのは誰ですか
  • 基本的に、最初にデータ部分、そして事蹟、という感じ。記事内容は適当にGoogleとかもかけながら、基本的には正史の記述準拠です。具体的な事実やエピソードを入れることで、例えば単なる「名君だった」「暴虐な君主だった」ではなく、もう少しどのように暴虐だったのかはっきりさせるように留意。……正史の暴君の記述は往々にして後世の曲筆の可能性があるのは承知ですが、傍証が手元にない以上しかたなし。分かる人がいれば直して下さい。ていうか、特にこの時代の記事を書いてると悪行三昧の記事ばかりですorz
  • Wikipedia‐ノート:ウィキポータル 歴史で先代-次代テンプレが出来ましたので、張り替えに入ってます。せっかくの機会ですので本文も細かく詰めながらやってるので張り替えトロいです。……先に一気にやった方がいいのかな?
  • 中文版は数も揃っており(最近大量に投稿されましたね……)、日本語記事を起こす際の下敷きとしてかなり使えるけど、英語版のほとんどはでかいテンプレが置いてあるだけで(しかも父母とか妻とか墓所とかばかり……)、正直具体的な事蹟の記事がほとんどないものが多いです。ちっ、使えねっw ――どちらにしても、単なる訳にせず取捨選択を入れてなるべく記事を膨らませること。

書いた記事・書きたい記事・その他備忘録

中国南朝の皇帝記事を時間があるときにこつこつ書いてます。もう少し。完成すれば次は八王の乱関連の記事を書きたいかなぁ。

南北朝のうち南朝の皇帝一覧

もう少し。あと少し。

初稿を書いた記事

中国皇帝系以外だとこんな記事の初稿を書いてます。すくなっ。

新規執筆・加筆のための備忘録

書きたいもの列挙。他にも気が付いたら書いてるけど、備忘録。

中国史関係。

日本史関係。

ライトノベル系。マニアック記事量産?

その他。

作業指針。自分用。

余談

  • 他人の利用者ページを見るのが好きだ。
  • というより、他人の考え方を見るのが好きだ。Wikipediaの中だけでも多様な考え方があって、それぞれの考えに基づいて関わっている。その考えの相違が面白いと思う。……反面、それに堪えうる自分の思想がないのが寂しい。論争を見るのは興味深いけど、それに自分が入っていける見識がないのが少し寂しい。いや寂しがらずに頑張れ俺。ファイトだ俺。
  • 自分の書いている内容がしょぼいのではないかという不安は常にある。自分の書いたものが誰かにスタイル違反で修正されると凹む。やっちまった、みたいな。
  • 他の某サイトで書いたことと同じテーマの内容は逆に書きにくい……。同じことを書くわけにもいかず。さて。
  • ところで誰ですか「ヲタク」→「おたく」の馬鹿な(賛辞)リダイレクトをしたのは。敢えて転送かけられるの承知でそのまま張ってみる。

サイコさん。

  • 書き込まれたばかりの他人のコメントにものすごいデジャブを感じた。というのか夢でそのコメントを見た気がする。
  • たとえ予知だとしても何の役にも立たない予知夢だ……。