劉晟

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中宗 劉晟
南漢
第3代皇帝
王朝 南漢
在位期間 応乾元年3月9日 - 乾和16年8月3日
943年4月16日 - 958年9月18日
都城 興王府
姓・諱 劉弘熙→劉晟
諡号 文武光聖明孝皇帝
廟号 中宗
生年 乾亨4年(920年
没年 乾和16年8月3日
958年9月18日
高祖
陵墓 昭陵
年号 応乾 : 943年
乾和 : 943年 - 958年

劉 晟(りゅう せい)は、十国南漢の第3代皇帝廟号中宗。もとのは弘熙。

生涯

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初代皇帝の高祖劉龑の四男として生まれる。大有15年(942年)に父が崩御すると、兄の劉玢(殤帝)が皇位を継いだが、暗愚で政務を顧みなかったため、光天2年(943年)に劉玢を殺して皇位を奪った。

即位後は弟や功臣、またその一族を大量に殺すことで皇位の安定を図るなど、その性格は残虐であった。さらに殺した弟の妻を後宮に入れて後宮狂いとなり、政務を宦官に任せて顧みなかった。また、勢力拡大にも失敗するなど、結果的に南漢の衰退を促進させた。

乾和16年(958年)に崩御、享年39。後を長男の劉継興(劉鋹)が継いだ。

宗室

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父母

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兄弟

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男子

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先代
殤帝
南漢の第3代皇帝
943年 - 958年
次代
後主