勲旧派 ウィキペディアから無料の百科事典 勲旧派各種表記ハングル: 훈구파漢字: 勳舊派発音: フングパ日本語読み: くんきゅうはテンプレートを表示 勲旧派(くんきゅうは)は、李氏朝鮮の派閥の一つ。士林派との対比で使われる。 大地主の両班が多く、1455年の世祖の擁立に功の有った勲臣と、その子孫たちで構成されていた。士林派の台頭に脅威を感じ士禍を引き起こす[1]が、1567年の宣祖即位以降は士林派が積極的に登用されるようになり、勲旧派はやがて政治の舞台から消えていくこととなった。 高麗末期の李成桂擁立の功臣とその子孫も勲旧派と呼ぶ場合がある。 注[編集] ^ ただし燕山君期に発生した甲子士禍(1504年)と丙寅士禍(1506年)ではいずれも士林派のみならず、勲旧派も大規模粛清に巻き込まれている。 表話編歴李氏朝鮮の朋党 四大士禍 勲旧派士林派 1575年東西分党 西人東人 1589年己丑獄事 南人北人 大北小北 清小北濁小北 1613年癸丑獄事 肉北骨北中北 1623年仁祖反正 功西派清西派 洛党原党山党漢党 1674年甲寅礼訟 濁南清南 1680年庚申換局 老論少論 1721年辛壬獄事 緩論峻論 1727年丁未換局 清名党蕩平党 1791年辛亥迫害 信西派攻西派 僻派時派 勢道政治