化学新書

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化学新書
著者 川本幸民
発行日 1861年
日本の旗 日本
言語 日本語
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化学新書 (かがくしんしょ)は、川本幸民によりドイツのユリウス・シュテックハルトの『Die Schule der Chemie』のオランダ語訳版を原本として翻訳された化学書である。1861年に出版された[1][2][3][4]

本書で化学という言葉が日本で初めて用いられた[注釈 1]。その内容は第1部が無機化学、第2部が有機化学となっており、全部で15巻あった。印刷刊行はされず、幸民が教授職を務めていた蕃書調所において、その写本を教科書として使っていた[1][2]明治時代になると、幸民は本書と他の化学書の内容を合わせて『化学通』を出版した[5]

宇田川榕菴舎密開宗と並び江戸時代末期の代表的な化学書とされる。舎密開宗と比較すると、原子分子化合物化学反応式といったより最新の概念が紹介されている[1][2]

無機化学の巻においては、各元素や化合物についての各論が詳細に記述されていた。それらの中には硫酸塩酸といったや、ナトリウムカリウムなどの軽金属マンガンコバルトといった重金属など、多くの元素やその化合物が網羅されていた。幸民は各元素に水・炭・窒・酸 (それぞれH・C・N・O) などと漢字の元素記号を当て、分子式を例えばNO2は"窒酸"のように表現していた。化合物について記述する中で、原子の結合による分子形成の概念が図を用いて説明されていた。ここでドルトン原子説が初めて日本に移入された[1][2]

有機化学の巻では、植物成分は主に水素・炭素・窒素・酸素の4種類の元素からなると説明しており、分子式を用いた異性体の概念の説明も見られた。 更にタンパク質アセチルアルデヒドラジカルなど最新の有機化学の知見も多数含まれていた。また発酵に関して詳細に記述されていた。この知識を元に幸民は日本初のビールを醸造したのではないかと推定されている[注釈 2][2][6][7]

現在、日本学士院に『化学新書』を含む多数の関連する資料が所蔵されている。これらの資料は2011年に日本化学会によって化学遺産として認定された[5]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 幸民は1860年に『万有化学』という本を著し、ここで化学という言葉を初めて用いたのだが、幕府の不許可により出版されなかった。なお、「化学」という語については、幸民が独自に考えたのではなく、当時の中国書にあった「化学」という単語を「舎密」の代わりに用いたのではないかとされている[1][2]
  2. ^ 幸民が実際にビールを醸造したという直接的な記録は存在しない[6][7]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 『江戸の化学 (玉川選書)』玉川大学出版部、1980年、130-132頁。ISBN 978-4472152115 
  2. ^ a b c d e f 芝哲夫「日本の化学を切り拓いた先駆者たち(2) : 川本幸民と化学新書(日本化学会創立125周年記念企画 8)」『化学と教育』第51巻第11号、日本化学会、2003年、707-710頁、doi:10.20665/kakyoshi.51.11_707 
  3. ^ 阪上正信「兵庫県三田に生まれた川本幸民と化学新書(<特集>科学風土記 : 沖縄から北海道まで)」『化学と教育』第44巻第1号、日本化学会、1996年、14-15頁、doi:10.20665/kakyoshi.44.1_14 
  4. ^ ブリタニカ国際大百科事典『川本幸民』 - コトバンク、2017年7月15日閲覧。
  5. ^ a b 八耳俊文. “化学遺産の第2回認定 認定化学遺産 第008号 日本学士院蔵 川本幸民 化学関係史料 抜群の語学の才に加え実験にも関心をもった川本幸民”. 日本化学会. 2017年7月16日閲覧。
  6. ^ a b 川本幸民 酒・飲料の歴史 キリン歴史ミュージアム キリン”. キリン. 2017年7月16日閲覧。
  7. ^ a b 山ノ内敏隆「わが国ビール産業の揺籃期 : 麦酒醸造技術の伝播と継承」『大阪産業大学経営論集』第6巻第1号、大阪産業大学、2004年10月、93-107頁、ISSN 13451456NAID 110004600072 

外部リンク[編集]