北条藤時 ウィキペディアから無料の百科事典 凡例北条藤時時代 鎌倉時代生誕 不明死没 正慶2年/元弘3年5月22日(1333年7月4日)別名 塩田藤時官位 左近大夫将監幕府 鎌倉幕府評定衆主君 北条高時氏族 北条氏父母 父:北条国時兄弟 藤時、俊時テンプレートを表示 北条 藤時(ほうじょう ふじとき)は、鎌倉時代末期の武士。北条国時の庶長子。 正中3年3月16日(1326年4月19日)には評定衆に在職している。元弘の乱においての鎌倉幕府滅亡の際に鎌倉へ駆けつけて、元弘3年(1333年)5月22日、父や弟と共に自害した。 参考文献[編集] 『金沢文庫古文書』(神奈川県立金沢文庫刊) 関連項目[編集] 塩田流北条氏