北畠義郎

ウィキペディアから無料の百科事典

北畠 義郎(きたばたけ よしろう、1897年明治30年)7月31日 - 1961年(昭和36年)1月15日[1])は、明治から昭和期にかけての華族神職従四位男爵

経歴[編集]

男爵新田忠純の長男(庶子)として生まれた[2]明治大学政治経済科卒業。男爵・北畠克通の養子となり、1929年に男爵を叙爵。新田神社々司を経て、北畠親房などをまつる霊山神社宮司に就任した。

山岳をはじめ、スポーツに親しみ、明大山岳部を創部すると共に、明大の後輩にあたる陸上競技選手の南昇竜らを後援した。

親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、499頁。
  2. ^ 武井守成『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]

参考文献[編集]

  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
  • 『神道人名辞典』、神社新報社、1955年。
  • 『人事興信錄』第11号 第2巻、人事興信所、1937年。
  • 『登頂8000メートル: 明治大学山岳部十四座完登の軌跡』、谷山宏典、山と溪谷社、2005年。
日本の爵位
先代
北畠克通
男爵
北畠家第3代
1929年 - 1947年
次代
華族制度廃止