十三経

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十三経
孟子

十三経(じゅうさんけい、じゅうさんぎょう)は、儒家が重視する13の経書の総称。代に確定した。[1]

概要

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従来、儒家経書六経があったが、このうち『楽経』は早くに亡んで代には五経となった。後漢になるとそれに『論語』と『孝経』を加えて七経とした。五経のうち『礼』に三礼、『春秋』に三伝あるので、分けて九経とすると十一経となる。代、それに『爾雅』が加えられ、宋代には『孟子』が加えられて十三経となった。またこれに『大戴礼記』を加えて十四経とすることがある。

その内訳は、下記の通り。

これらのうち

  • 『周礼』『儀礼』『礼記』をあわせて「三礼」と呼ぶ。
  • 『春秋左氏伝』『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』をあわせて「春秋三伝」と呼ぶ。

十三経注疏

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十三経に対して漢以来の権威ある注疏を選んで集成した書物を『十三経注疏中国語版』(じゅうさんけいちゅうそ、じゅうさんぎょうちゅうそ)という。唐代に作られた『五経正義』に、賈公彦『儀礼疏』『周礼疏』などを加えて、十三経の注と疏を収録している。版本の半葉が十行で構成されているため、十行本とも呼称される。刊本には十行本以降、正徳本・閩本・南監本・北監本・汲古閣本・武英殿本などがあるが、阮元によって校勘記を附して作られた阮元本が最も有名である。

2000年北京大学出版社が十三経注疏整理委員会(李学勤主編)の『標点本十三経注疏』を出版した。李学勤本は阮元の原刻「嘉慶二十年開雕本」を複印した道光本を更に複印した石印を更に影印した世界書局影印本を底本と、清の孫星衍の校勘記で校勘したもので、「簡体版」と「繁体版」がある。

ほぼ同時期に、台湾の新文豊出版公司より「中華叢書」(国立編訳館主編)として『十三経注疏分段標点本』が公刊されている。これは阮元の原刻「嘉慶二十年開雕本」が底本である。

北京大学出版社版も新文豊出版公司も、乾隆四年刊の殿版は参照していない。また、標点句読が中華書局版に劣る部分もある。

書名 ・注
周易正義 王弼[2] 孔穎達
尚書正義 孔安国前漢)伝[3] 孔穎達
毛詩正義 毛亨毛萇前漢)伝
鄭玄後漢)箋
孔穎達
周礼注疏 鄭玄後漢 賈公彦
儀礼注疏 鄭玄後漢 賈公彦
礼記注疏(礼記正義) 鄭玄後漢 孔穎達
春秋左傳注疏(春秋左傳正義) 杜預西晋

(『春秋経伝集解』)

孔穎達
春秋公羊傳注疏 何休後漢 不明[4]
春秋穀梁傳注疏 范寧西晋 楊子勛
論語注疏 何晏 邢昺北宋
孟子注疏 趙岐後漢 孫奭北宋[5]
孝経注疏 玄宗

(『御注孝経』)

邢昺北宋
爾雅注疏 郭璞西晋 邢昺北宋

脚注

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  1. ^ 十三経』 - コトバンク
  2. ^ 但し繋辞伝説卦伝序卦伝雑卦伝韓康伯)の注で補い、敷衍している。
  3. ^ 実際には後世の偽作と考えられており、「偽孔伝」とも呼ばれる
  4. ^ 唐の徐彦の作と伝えるが根拠がなく、おそらく南北朝時代の作であることが阮元の校勘記に指摘されている
  5. ^ 孫奭が孟子の疏を作ったということは記録に見えず、後世の偽作とされる。古来非常に評判が悪い

関連項目

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関連文献

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  • 池田光子. “十三經注疏”. 大阪大学中国哲学研究室. 2024年1月3日閲覧。
  • 古勝隆一「第三講 『十三経注疏』の概要」『中国注疏講義 経書の巻』法蔵館、2022年。ISBN 978-4831877581 
  • 長沢規矩也十三経注疏影譜』長沢規矩也、1934年。doi:10.11501/1207105https://dl.ndl.go.jp/pid/1207105/1/1 
  • 長沢規矩也「第一篇 注疏本考」『書誌学論考 安井先生頌寿記念』松雲堂書店ほか、1937年。doi:10.11501/1870447https://dl.ndl.go.jp/pid/1870447/1/1 
  • 野間文史『十三經注疏の研究 その語法と傳承の形』研文出版、2005年。ISBN 4876362521 (下記諸論文を再録)

外部リンク

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