只見徹
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只見 徹(ただみ てつ、1879年(明治12年)12月3日[1] - 1952年(昭和27年)7月28日[2]は、日本の商学者。高岡高等商業学校創立委員として同校創立にあたり、初代校長を経て、第7代長崎高等商業学校校長。
人物・経歴
[編集]埼玉県栗橋町出身[3]。1901年高等商業学校(現一橋大学)卒業。英米独留学、滋賀や愛媛の県立商業学校教諭、大阪市立高等商業学校教授、山口高等商業学校教授[1]、福島高等商業学校教授を歴任し、1924年に高岡高等商業学校創立委員となり文部省の仮創立事務所で創立作業を進め[3][4]、同年同校初代校長に就任[5]。1930年から長崎高等商業学校校長[6]。1936年初代長崎ロータリークラブ会長[7]。1941年退官[8]、長崎高等商業学校名誉教授[9]。
栄典
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 只見徹 (第8版 [昭和3(1928)年7月 の情報)]日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
- ^ 富山大学経済学部同窓会越嶺会名簿(2014)
- ^ a b 経済学部富山大学
- ^ 受験と學生 7(10) (研究社, 1924-10)
- ^ 高岡高等商業学校一覧 昭和5至6年
- ^ 歴代学校長・学部長・大学院 研究科長長崎大学
- ^ 長崎ロータリークラブ(2740地区)
- ^ 長崎高等商業学校研究館彙報 29(3)
- ^ 官報 1941年06月05日
- ^ 件名県立山梨県第一中学校大島正健外二十一名叙位ノ件○奈良県農事試験場
- ^ 元山口高等商業学校教授只見徹特旨叙位ノ件
- ^ 銀行検査官原邦道外二十九名叙位ノ件/海軍造兵大佐金子吉三郎、長崎高等商業学校長只見徹外十六名、農林技師石崎芳吉外一名、台北帝国大学教授岡野留次郎外二名
- ^ 官報 1941年04月24日
- ^ 官報 1941年10月23日