日学
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種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 | 日本 〒140-0014 東京都品川区大井1-49-15 アクセス大井町ビル5F |
設立 | 1957年(昭和32年)9月12日 |
業種 | その他製品 |
法人番号 | 9010401021593 |
事業内容 | ホワイトボード、黒板、電子黒板、掲示板、その他教育、オフィス、公共施設関連用品の販売施工、ボード設備の製造販売 |
代表者 | 代表取締役社長 吉田 朋弘 |
資本金 | 5,000万円 |
従業員数 | 111名(2014年3月現在) |
外部リンク | http://www.nichigaku.co.jp/ |
日学株式会社(にちがく)は、東京都品川区に本社があるホワイトボード・黒板メーカー。1957年(昭和32年)設立。
会社概要
[編集]1950年(昭和25年)に吉田商店として発足し、小中学校向けの教材教具の販売とともに、ホーロー黒板・白板・マグネット画鋲を開発し、販売を開始する。また、ヤマハ音楽教室の音楽五線黒板として採用されている。
1968年(昭和43年)には日本ガイシと共同開発したアルミホーロ黒板やホワイトボードの製造発売している。
また、ホワイトボードや電子黒板など常に先進的な製品を開発する企業でもある。その他、オーダーメードホワイトボードや掲示板・案内板・屋外掲示板なども製造・販売している。
主な商品
[編集]- ホワイトボード・黒板
- 電子黒板
- インタラクティブホワイトボード・掲示板・案内板
- オーダーメードホワイトボード
など
創業者
[編集]創業者の吉田富雄(1918年石川県生まれ)は、明治40年創業の山代温泉「花屋旅館」(のちのホテル百万石)創業家の吉田初太郎ととよの四男として生まれる[1][2]。1935年に石川県立大聖寺中学校を卒業後、1939年に日本統治下の台湾の屏東師範学校演習科を中退し、台湾鉄工所入社、1942年にマニラ支社工員養成所副所長となったが、敗戦で帰国、京都府舞鶴出張所通訳を経て1950年に「吉田教材教具店」を開業[1]。1957年に「日本学校用品」を設立して専務となり、1959年に社長、1974年に「日学」に改称、1993年に会長就任[1]。日学科学技術振興記念財団理事長。
長男・吉田用親(一橋大学商学部卒)は日学社長、長女・慶子は東洋曹連工業会長・青木周吉(青木周三長男)の長男の妻[1]。富雄は13人兄弟で、双子の実弟である小黒末雄は日本硬質陶器社長・小黒安雄の養子となり、陸軍士官学校を出て国際観光ホテル取締役、友美堂(帝国ホテル内の画廊)社長となった[2][1]。末雄の孫に小黒一正がいる[2]。富雄の甥に富士重工副社長の吉田信彦、ホテル百万石創業社長の吉田豊彦、その弟で同会長の吉田博示、加賀市長の矢田松太郎がいる[1]。
脚注
[編集]関連項目
[編集]- 黒板アート甲子園 (日学が主催している黒板アートの大会。)