固山一鞏
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固山一鞏 | |
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弘安7年9月 - 延文5年/正平15年2月12日 (1284年9月 - 1360年2月29日) | |
号 | 無中[1] |
生地 | 肥前佐賀郡[1] |
宗旨 | 臨済宗 |
師 | 蔵山順空、無為昭元、南山士雲 |
弟子 | 鐘谷利聞、無塵至清、季宗初興、林叟、智門一祚、天佑一聞[2] |
固山一鞏(こざん いっきょう)は、鎌倉時代から南北朝時代の臨済宗の僧。
経歴・人物[編集]
はじめ肥前高城寺の蔵山順空に師事する。博多にて元僧の西澗子曇より無中の号を受ける[1]。京都で無為昭元、南山士雲らに学ぶ[1]。京都東福寺にうつった順空の法を嗣ぎ、東福寺、天竜寺の住持を歴任した[1]。