夏衍

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夏衍

夏衍(か えん、Xia Yan、1900年10月30日 - 1995年2月6日)は、中国の劇作家、映画脚本家、ジャーナリスト。

来歴

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浙江省杭州厳家弄(現在の杭州市上城区[1])に生まれる。本名は沈乃煕、字は端先。浙江甲種工業学校で学んだ後、1920年日本に留学、九州明治専門学校などで学ぶ。1927年帰国後中国共産党に参加、左翼文学芸術運動に従事。1935年より「賽金花」、「上海の屋根の下」(上海屋檐下)、「ファッショ細菌」(法西斯細菌)などの戯曲を発表。これらは1930、1940年代中国話劇の代表作とされる。

抗日戦争中は桂林で「救亡日報」刊行、同紙停刊の後は「華商報」「新華日報」の編集に従事する。

中華人民共和国建国後は上海市電影局長、国務院文化部副部長などを歴任。また映画シナリオ「祝福」「林家舗子」などを執筆する。

文化大革命中は激しく攻撃され、7年間投獄された。

文革終結後は中共中央顧問委員会委員などを歴任した。

1995年、死去。94歳没。

脚注

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参考文献

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  • 夏衍「日本回憶 夏衍自伝」「ペンと戦争」「上海に燃ゆ」
各・東方書店阿部幸夫訳, 1987-89年