外山正成

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外山正成
時代 戦国時代
生誕 天文23年(1544年
死没 元亀3年12月22日1573年2月4日
別名 正重、小作
主君 徳川家康
父母 外山正澄
正勝
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外山 正成(とやま まさなり)は、戦国時代武将徳川家康に仕えた。

略歴[編集]

永禄3年(1560年)より徳川家康に仕える。永禄11年(1568年掛川城の戦いでは敵首級を得る武功を立てる。元亀3年(1572年三方ヶ原の戦いでは石川数正の部隊に所属し、山県昌景などの部隊と交戦。敵将へ一番槍を入れ、渡辺守綱がこれを討ったが、首級は上げられなかった。その撤退戦の最中に戦死。

参考文献[編集]