夜汽車 (映画)

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夜汽車
監督 山下耕作
脚本 松田寛夫
長田紀生
原作 宮尾登美子
出演者 十朱幸代
秋吉久美子
萬田久子
白都真理
丹波哲郎
津川雅彦
萩原健一
音楽 津島利章
撮影 木村大作
編集 玉木濬夫
製作会社 東映京都撮影所
配給 東映
公開 日本の旗 1987年1月17日 
上映時間 137分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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夜汽車』(よぎしゃ)は宮尾登美子短編小説。また同作の他、宮尾作品のいくつかを基に[1]製作された1987年公開の日本映画[2][3]東映京都撮影所製作[4]東映配給。

鬼龍院花子の生涯』『陽暉楼』『』に次ぐ宮尾文学4度目の映画化[5]

十朱幸代秋吉久美子白都真理新藤恵美速水典子の五人の女優乳房露出の激しい濡れ場を披露し、"女の競艶映画"として話題を呼んだ[6]

天涯孤独の姉妹が高知で再会。男に愛されることで命を燃やす姉、男を想うことで心を焦がす妹が一人の男を巡って起こす激しい愛憎劇を描く[5]

キャスト[編集]

スタッフ[編集]

製作[編集]

東映が映画化した宮尾登美子原作による『鬼龍院花子の生涯』『陽暉楼』『』は、全て五社英雄監督だったが、岡田茂東映社長が「マンネリになってはいかんし、思い切って監督を代えて降旗康男君でやる。そのかわり、五社君は吉原に強いから『吉原炎上』を撮らせる。このテの女性路線は年に一本か二本、大事に扱って温存してゆく。アダルト狙いじゃ、相当強烈なものをやらなかったら当たらない」などと話し、監督を交代させた[7]。監督は降旗ではなく山下耕作になった。

脚本[編集]

原作が短編のため、脚色段階でそこから膨らませて物語を構築したが、宮尾登美子が自身が描いた人物像と食い違いがあるとクレームを付けた[3]。結局、「シナリオは非常に良く出来ている」と宮尾が納得し了解を得た[3]

撮影記録[編集]

1986年8月27日、東映太秦映画村にてクランクイン[3]

自衛隊舞鶴病院で診療所のシーンの撮影が行われた。

製作費[編集]

直接製作費2億9,000万円[8]。間接費を合わせ合計6億円[3][5]

興行[編集]

ドラゴンボールをメインとした[3]ゲゲゲの鬼太郎キン肉マンと合わせた東映まんがまつりに続く[3]、1987年正月第二弾として一本立てロードショー[5]。東映洋画系の正月作品は『紳士同盟』/『ボクの女に手を出すな[9]。岡田社長は「吉永小百合くんの東宝映画女優』との勝負になるが、是非成功させたい。アダルト映画を興行的に成功させるのはなかなか大変な時代だが、一発長打を期待したい」と話した[3][5]。   

作品の評価[編集]

興行成績[編集]

東映内部では「脚本も演出も役者も全部いい」などと、作品はよく仕上がっていると評されたが[1][4]、『鬼龍院花子の生涯』のような派手さがなく[4]、小品で興行は厳しいのではという見方をされた[4]。日下部五朗は「試写を観た岡田社長が涙し、『ケッサクタンジョウ!』と私に電報を打って来たが、お客は入らなかった」と話している[1]。鈴木常承東映営業部長は「1986年秋のアダルト三番組としてセットでプロモーションを展開した『化身』『』『極道の妻たち』が予想以上の大ヒットを記録した勢いのまま、まんがまつりと合わせて健闘し『スケバン刑事』まで勢いを繋げた」と評している[4]

批評家評[編集]

いま一つ[8]

受賞歴[編集]

第11回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞津川雅彦、『マルサの女』と合わせて)。

出典[編集]

  1. ^ a b c 日下部五朗『シネマの極道 映画プロデューサー一代』新潮社、2012年、161頁。ISBN 9784103332312 
  2. ^ 夜汽車”. 日本映画製作者連盟. 2020年1月2日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h 「製作ニュース 東映、宮尾文学4度目の映画化 山下耕作監督『夜汽車』」『映画時報』1986年10月号、映画時報社、32頁。 
  4. ^ a b c d e 高岩淡(東映専務取締役)・鈴木常承(東映・常務取締役営業部長)・小野田啓 (東映・宣伝部長、役員待遇)、聞き手・北浦馨「誌上・特別座談会 東映"87"へ快進撃開始」『映画時報』1987年4月号、映画時報社、14頁。 
  5. ^ a b c d e 「宮尾文学4度目の映画化 十朱、秋吉、萩原競演」『映画時報』1986年11月号、映画時報社、19頁。 
  6. ^ 「グラビア 競艶-スクリーン速報 『蚊帳の中で十朱の乳房が弄ばれ騎乗位の白都の肌が朱に染まる… 新藤恵美、速水典子も加え、東映映画『夜汽車』で競った、新春・艶事始めヌード」『週刊宝石』1987年1月2/9日号、光文社、3-6頁。 
  7. ^ 文化通信社 編『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』ヤマハミュージックメディア、2012年、208頁。ISBN 9784636885194 
  8. ^ a b 平塚英治「記録編 邦画配給界 東映」『映画年鑑 1988年版(映画産業団体連合会協賛)』1987年12月1日発行、時事映画通信社、101–102頁。 
  9. ^ “正月映画初夢の皮算用、トップガン、35億円狙う―”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 16. (1986年12月9日) 

外部リンク[編集]