大成村 (鳥取県)
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たいせいそん 大成村 | |
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廃止日 | 1957年1月1日 |
廃止理由 | 新設合併 宇倍野村、大成村 → 国府町 |
現在の自治体 | 鳥取市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 岩美郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 60.83 km2 |
総人口 | 3,182人 (県統計書、1956年) |
隣接自治体 | 宇倍野村、岩美町 八頭郡上私都村、中私都村、丹比村、若桜町 兵庫県美方郡温泉町 |
大成村役場 | |
所在地 | 鳥取県岩美郡大成村大字中河原 |
座標 | 北緯35度26分33秒 東経134度19分57秒 / 北緯35.44244度 東経134.33242度座標: 北緯35度26分33秒 東経134度19分57秒 / 北緯35.44244度 東経134.33242度 |
特記事項 | 村役場は成器小学校(現在の成器地区公民館)付近に所在した |
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大成村(たいせいそん)は、鳥取県岩美郡にあった自治体である。
概要
[編集]現在の鳥取市のうち、旧国府町東部に当たる。扇ノ山山麓と袋川流域に位置した。
村名は合併前の成器村と大茅村から漢字一文字ずつ取った合成地名である[1]。
県は1952年(昭和27年)7月21日に鳥取市と周辺20ヶ村(岩美郡7ヶ村、気高郡13ヶ村)の合併勧告を行い、その中に成器・大茅両村が含まれていたが、両村はその前年から合併機運があったことからわずか1ヶ月の協議期間を経て同年11月に合併して大成村となった。しかし国が目標とするところの合理化案には程遠かったことから西隣の宇倍野村との合併話に発展していき、県は1956年(昭和31年)12月7日に当村と宇倍野村の合併を勧告、これにより2ヶ村は合併して国府町となった。そのため当村の存在期間は約4年と短かった[2][3]。
沿革
[編集]- 1952年(昭和27年)11月1日 - 成器村と大茅村が合併して大成村が発足。合併各村の計19大字を継承[4]。
- 1957年(昭和32年)1月1日 - 宇倍野村と合併して国府町が発足。同日大成村廃止[5]。
行政
[編集]役場
[編集]役場は中河原の旧成器村役場とし、栃本の旧大茅村役場には支所を置いた[2]。
村長
[編集]氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 出身 | 備考 |
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土橋庄吉 | 1952年(昭和27年)11月1日 | 1952年(昭和27年)12月7日 | 新井 | 前成器村助役、職務執行者 |
土橋一之 | 1952年(昭和27年)12月8日 | 1953年(昭和28年)6月27日 | 中河原 | 前成器村長 |
高橋民雄 | 1953年(昭和28年)8月4日 | 1956年(昭和31年)12月3日 | 石井谷 | 前助役、元大茅村長 |
参考文献 - [2] |
教育
[編集]- 大成村立成器小学校・上地分校(現在は統合により鳥取市立国府東小学校となる)
- 大成村立大茅小学校(現在は統合により鳥取市立国府東小学校となる)
- 大成村立大成中学校(現在は統合により鳥取市立国府中学校となる)