太田新生

ウィキペディアから無料の百科事典

太田 新生(おおた あらお、1920年 - 2015年)は、日本外交官ヒューストン総領事や、駐リビア特命全権大使を務めた。

人物・経歴[編集]

兵庫県姫路市出身[1][2]。1939年成蹊高等学校文科甲類卒業[3]。1943年高等試験行政科試験合格[4]。同年東京帝国大学法学部政治学科卒業[2][1]

太平洋戦争中は大日本帝国海軍で通信関係の仕事に従事していたが、南方への赴任の前に日本の降伏となり難を逃れた。海軍時代にのちに妹の夫となった縫田清二と友人となる[5]

1948年外務事務官任官、叙二級[6]、北海道連絡調整地方事務局連絡調整官[7]。1964年外務省経済局書記官[8]。1965年外務省移住局移住振興課長[9]。 同年外務省中南米・移住局移住課長[10]。1966年外務省中南米・移住局総務課長[11]

1967年外務省中南米・移住局移住課長[12]。1968年在ヒューストン日本国総領事館総領事[13]。1971年在オランダ日本国大使公使[14]。1974年駐リビア特命全権大使[15]

1977年依願退官[16]。退官後は、財団法人日本国際医療団専務理事を務めた[17]。1990年勲二等瑞宝章受章[3]。1998年、日本国際自転車交流協会20周年に向け、同会会長に就任[18]

親族[編集]

国立婦人教育会館初代館長などを務めたジャーナリスト縫田曄子は妹。その夫の縫田清二横浜国立大学名誉教授は海軍時代からの友人[5]

出典[編集]

  1. ^ a b 宝石 3(8) (光文社, 1975-08)
  2. ^ a b 東京帝国大学一覧 昭和16年
  3. ^ a b 成譔會誌1991.1 No.72
  4. ^ 官報 1943年07月06日
  5. ^ a b 太田宇之助父娘と中国インタビュー記録―太田宇之助長女、縫田曄子氏に聞横浜開港資料館 横浜開港資料館 紀要第38号 令和 4年 3月 YOKOHAMA ARCHIVES OF HIS
  6. ^ 官報昭和23年本紙第6326号 86頁
  7. ^ 官報昭和23年本紙第6532号 175頁
  8. ^ 官報昭和39年本紙第11370号 18頁
  9. ^ 官報昭和40年本紙第11513号 14頁
  10. ^ 官報昭和40年本紙第11517号 17頁
  11. ^ 官報昭和41年本紙第11840号 14頁
  12. ^ 官報昭和42年本紙第12138号 11頁
  13. ^ 官報昭和43年本紙第12423号 22頁
  14. ^ 官報昭和46年本紙第13217号 20頁
  15. ^ 官報昭和49年本紙第14269号 10頁
  16. ^ 官報昭和52年本紙第15245号 16頁
  17. ^ 日中医学情報協力の胎動医学図書館/32 巻 (1985) 2 号
  18. ^ 創設30周年記念誌日本国際自転車交流協会