奥山清治
ウィキペディアから無料の百科事典
奥山 清治(おくやま せいじ、1876年(明治9年)11月30日[1] - 1965年(昭和40年)5月17日[2])は、日本の外交官。駐ギリシャ公使。
経歴
[編集]山形県出身。1903年(明治36年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、翌年に外交官及領事官試験合格した[3]。シンガポール領事官補、オーストリア公使館三等書記官、外務省参事官、ロシア大使館一等書記官、外務省人事課長、同文書課長、国際連盟事務局次長、駐ギリシャ公使を務めた[1][3]。
退官後は国際連盟協会主事を務めた後[4]、満州国駐日大使館最高顧問となった[5]。
脚注
[編集]- ^ a b 人事興信録 第5版 1918.
- ^ 外務省外交史料館日本外交史辞典編纂委員会『新版 日本外交史辞典』山川出版社、1992年、124頁。
- ^ a b 人事興信録 第7版 1925.
- ^ 国際聯盟協会『昭和五年度 国際聯盟協会会務報告』役員名簿、1931年。
- ^ 人事興信録 第14版 1943.
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。
|
|
|