孝明天皇宸翰

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孝明天皇宸翰(こうめいてんのうしんかん)とは、1863年文久3年)に、八月十八日の政変を行った礼に、会津藩主松平容保に送られた宸翰である。同時に、御製も送られた。これを松平容保は、竹筒に入れ生涯誰にも見せることなく、亡くなった。

宸翰[編集]

堂上以下陳暴論不正之所置増長付痛心難堪

下内命之処速ニ領掌憂患掃攘朕存念貫徹之段  

仝其方忠誠深感悦之餘右壱箱遣之者也  

文久三年十月九日

御製[編集]

たやすからさる世に武士(もののふ)の忠誠のこゝろをよろこひてよめる

「やはらくも 猛き心も 相生の 松の落葉の あらす栄へむ」

「武士と 心あはして 巌をも つらぬきてまし 世々のおもひて」

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