孫慎 ウィキペディアから無料の百科事典 孫 慎(そん しん、生没年不詳)は、中国三国時代の呉の皇族。揚州呉郡富春県の人[1]。孫河の孫で、孫俊の末子。 天紀元年(277年)夏、夏口督の官にあった孫慎は、魏の領土である汝南郡へ進軍して焼き討ちをかけ、住民を捕虜として帰還した[2]。 官位は鎮南将軍に昇った。子の孫拯は西晋の時代においても名を上げ、『晋書』陸機伝に付伝される。 家系図[編集] 【孫河・孫韶家系図】(編集) ● 孫河 孫助 孫誼 孫桓 孫建 孫俊 孫慎 孫拯 ● 孫韶 孫楷 孫越 孫異 孫奕 孫恢 出典:陳寿撰、裴松之注、小南一郎訳 『正史 三国志』(ちくま学芸文庫)6巻、342頁 出典[編集] 陳寿撰、裴松之注『三国志』巻51 呉書 孫桓伝(中国語版ウィキソース) 脚注[編集] [脚注の使い方] ^ 『三国志』呉書 孫堅伝記載、同族の孫堅の本貫。 ^ 『三国志』呉書 孫皓伝より。『晋書』武帝紀ではこれを同年12月のこととする。