宇都宮貞邦 ウィキペディアから無料の百科事典 凡例宇都宮貞邦時代 南北朝時代生誕 不明死没 正平14年/延文4年7月19日(1359年8月13日)官位 刑部少輔主君 懐良親王氏族 筑後宇都宮氏父母 父:宇都宮貞泰兄弟 貞宗/義綱、貞久、貞邦、宗泰テンプレートを表示 宇都宮 貞邦(うつのみや さだくに)は、南北朝時代の武将。 父宇都宮貞泰は伊予国から南朝の懐良親王に従い豊前国の仲津郡に移る。豊前は北朝方の豊前宇都宮氏の勢力地であったため、貞泰の死後、貞邦は、兄貞久と南朝方の菊池氏の肥後国八代に移る。 懐良親王の軍勢の武将として、正平14年/延文4年(1359年)、筑後川の戦いに兄貞久、甥の懐久と共に出陣するも、討ち死を遂げた。