安井九兵衛

ウィキペディアから無料の百科事典

安井 九兵衛(やすい くへえ、1582年天正10年) - 1664年12月4日寛文4年10月17日[1])は、江戸時代日本の資産家・治水家。号は道卜(どうぼく)[1]

河内国の出身[1]

大坂(現在の大阪市)に道頓堀を掘削した中心人物4名(成安道頓、安井冶兵衛・九兵衛兄弟、平野藤次郎)の一人 [2]。掘削事業は途中で中断があり、その間に成安道頓と安井治兵衛は死去、九兵衛と平野藤次郎により1615年元和元年)に道頓堀は完成した[1][2]

安井家は大坂三郷の一つである南組の惣年寄を務めた[3]。道頓堀完成後の周辺開発は、平野藤次郎が幕官に転じたことなどにより、九兵衛に委ねられた[2]。道頓堀東部(西横堀川以東)周囲の「川八町」と呼ばれた地域は九兵衛の支配下にあった[2]

1626年寛永3年)以降、安井家はこの地域に芝居小屋を誘致し、1644年正保元年)には8軒を数えるに至った[2]。 そのため各芝居小屋では、安井家のために「安井桟敷」と呼ばれる特別見物席が用意されていた[2]

また、最初の日本独自の暦法による暦「貞享暦」を作成した渋川春海は、九兵衛の兄・宗順の孫になる[4]

1914年(大正3年)、従五位を追贈された[5]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 安井九兵衛 - デジタル日本人名大辞典プラス(コトバンク
  2. ^ a b c d e f 木上由梨佳「近世大坂芝居地の社会構造 道頓堀開発と芸能興行の展開 (PDF) 」『都市文化研究』vol.16、大阪市立大学大学院文学研究科・文学部、2016年、pp.28 - 43
  3. ^ 安井家文書の世界 -近世都市大坂の建設をになった人びと- - 大阪歴史博物館
  4. ^ テーマ展示「町人天文学者間重富の天文観測と暦」 - 大阪歴史博物館
  5. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.32