安岡チョーク
ウィキペディアから無料の百科事典
獲得メダル | ||
---|---|---|
タイ / 日本 | ||
陸上競技 | ||
パラリンピック | ||
金 | 2004 アテネ | 800m(T54) |
銀 | 2004 アテネ | 400m (T54) |
銅 | 1996 アトランタ | 10000m(T52-53) |
銅 | 2004 アテネ | 400mリレー(T53-54) |
安岡チョーク(やすおかチョーク、Choke Yasuoka, 1973年1月18日 - )は、タイ出身の日本の車いす陸上競技選手。本名、プラソップチョーク・クラングン(Prasopchoke Klunngern[1])。アテネパラリンピック金メダリスト[要出典]。リーフラス株式会社所属[2]。
人物
[編集]プラチュワップキーリーカン県プラーンブリー郡の村に農家の長男として生まれた。先天的に両脚が太ももまでであったため、家ではもっぱら腕で移動し、小学校へは母親が自転車で送り迎えしていた。その後、バンコクにある全寮制の養護学校へ進学、13歳で車いす陸上を始める。1990年に初の国際大会となる大分国際車いすマラソンに出場。バルセロナパラリンピック、アトランタパラリンピック、シドニーパラリンピックとパラリンピック3大会にタイ代表として出場し、アトランタ大会では10000メートルで銅メダルを獲得[要出典]。
2001年に日本人女性と結婚し翌年来日、大分県内の医院で看護助手として勤務していたことから日本障害者スポーツ協会および国際パラリンピック委員会の特別措置[要出典]でタイ国籍を保持しながら2003年より日本選手として競技活動を開始した。アテネパラリンピックには日本代表として出場、800メートルで金メダル、400メートルで銀メダル、400メートルリレーで銅メダルを獲得した[要出典]。2008年北京パラリンピックにて日本代表として出場するもメダルには及ばなかった[3]。
主な競技成績
[編集]- 1992年
- バルセロナパラリンピック
- 400m TW4 予選敗退(第4組5位)
- 1996年
- アトランタオリンピック
- 車いす10000m 3位(公開競技)
- アトランタパラリンピック
- 10000m T52-53 3位
- マラソン T52-53 5位
- 5000m T52-53 9位
- 東京車いすマラソン 優勝
- 2000年
- シドニーパラリンピック
- 10000m T54 8位
- 1500m T54 9位
- 5000m T54 予選敗退(2次予選第2組11位)
- 2004年
- アテネオリンピック
- 車いす1500m 6位(公開競技)
- アテネパラリンピック
- 2006年
- IPC陸上競技世界選手権大会 5000m 3位
- バンコクマラソン(車いす部門) 優勝
- 大分国際車いすマラソン 3位
- 日本身体障害者陸上競技選手権
- 800m 優勝
- 1500m 優勝
- 5000m 3位
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- “「パラリンピックへの挑戦 車いす陸上競技 安岡チョーク」”. 『福祉ネットワーク』. NHK (2004年9月2日). 2008年3月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月9日閲覧。
- アルン・タンペンシー(広報文化部) (2004年11月9日). “「タイ人選手、パラリンピックの日本代表に」”. 在京タイ王国大使館. 2007年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月9日閲覧。のアーカイブ版)
外部リンク
[編集]- 安岡チョーク リーフラス株式会社(パラアスリート支援)
脚注
[編集]- ^ タンペンシー(在京タイ王国大使館) 2004, 「タイ人選手、パラリンピックの日本代表に」
- ^ “パラアスリート支援 | 安岡 チョーク”. leifras.co.jp. リーフラス株式会社. 2022年11月15日閲覧。
- ^ a b c “北京パラリンピック 記録・成績一覧” (pdf). web.archive.org (2008年9月17日). 2012年9月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月9日閲覧。