宝立町 (珠洲市)
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宝立町(ほうりゅうまち)は、石川県珠洲市の地域名。かつては珠洲郡宝立町であった。
歴史
[編集]- 1908年(明治41年) - 鵜島村、黒峰村、見付村の3村が合併し宝立村となる。
- 1940年(昭和15年) - 町制施行。宝立町となる。
- 1954年(昭和29年) 7月15日 - 飯田町、正院町、上戸村、直村、若山村、蛸島村、三崎村、西海村の2町6村と合併して珠洲市となる。
町
[編集]以下、特記なき場合、珠洲市例規集より「町の区域」による[1]。
- 宝立町鵜飼(うかい) - 旧・宝立町字鵜飼の区域
- 宝立町春日野(かすがの) - 旧・宝立町字春日野の区域
- 宝立町金峰寺(こんぽうじ) - 旧・宝立町字金峰寺の区域
- 宝立町柏原(かしはら) - 旧・宝立町字柏原
- 宝立町大町泥木(おおまちどろのき) - 旧・宝立町字大町泥木の区域
- 宝立町馬渡(まわたり) - 旧・宝立町字馬渡の区域
- 宝立町南黒丸(みなみくろまる) - 旧・宝立町字南黒丸の区域
- 宝立町鵜島(うしま) - 旧・宝立町字鵜島の区域
- 宝立町宗玄(そうげん) - 旧・宝立町字宗玄の区域
- 宝立町黒峰(くろみね) - 旧・宝立町字黒峰
観光地
[編集]- 見附島(みつけじま)
文化財
[編集]重要文化財(国指定)
[編集]- 白山神社本殿(春日野地区)
石川県指定有形文化財
[編集]- 白山神社木造獅子頭(春日野地区)
珠洲市指定有形文化財
[編集]- 八幡神社の石塔(南黒丸地区)
- 木造不動明王坐像(春日野地区、法住寺)
- 王舞面(春日野地区、春日神社)
- 木造金剛力士像・胎内文書(春日野地区、法住寺)
- 三杯焼竹根形花生(春日野地区)
- 絹本着色前田利家画像(鵜飼地区、妙珠寺)
- 大谷本願寺親鸞聖人絵伝(鵜飼地区、妙厳寺)
- 絹本着色方便法身尊像(鵜飼地区、妙厳寺)
- 絹本着色十六羅漢図(鵜飼地区、妙厳寺)
- 絹本着色仏涅槃図(金峰寺地区、金峰寺)
- 法住寺文書(春日野地区)
- 金銅装双竜環頭大刀柄頭(春日野地区)
- 珠洲焼仏像(鵜島地区、剣神社)
- 珠洲焼神像(柏原地区)
- 珠洲焼仏像(柏原地区)
珠洲市指定天然記念物
[編集]- 橋元家のクロマツ(宗玄地区)
施設
[編集]- 小屋ダム - 宝立町小屋地区にある珠洲市最大級のダム。
- 宝立町下水処理場 - 宝立町柏原(朝日)地区にある鵜飼地区対象の下水処理場。
行事
[編集]学校
[編集]- 珠洲市立宝立小中学校
- 珠洲市立宝立小学校および同宝立中学校の児童数・生徒数の減少をはじめ、小学校舎の老朽化・耐震基準の不適合により、現在の宝立中学校校舎を増改築し、教場とした。
- 石川県立飯田高等学校宝立校舎(旧、同県立珠洲実業高等学校)
- 1963年に旧宝立(鵜飼)小学校内で「石川県立飯田高等学校宝立分校」として開校。しかし、国内で三八問題が大きくクローズアップされ、また宝立町内に独立した高校が欲しいとの声が高まったことから、同町鵜飼地内に校舎が建設され、「石川県立珠洲実業高等学校」として1973年に開校。過去には「土木科」・「家庭科」・「商業科」があったが、2008年より募集を停止。後の2010年に石川県立飯田高等学校と統合されたが、既存校舎は温存され同高宝立校舎に改称。これを受け、旧珠洲実高履修科目を継承するに足る「総合学科(4コース)」が新設されることになり、同科履修生は実習の際にこの校舎を利用する。
- 石川県立七尾特別支援学校珠洲分校
- かつて同市三崎町にあった校舎が手狭になったことから、同県立飯田高等学校宝立校舎の空き階を改修のうえ全面移転。2013年1月8日に開校。