室津 (海防艦)
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室津 | |
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基本情報 | |
建造所 | 浦賀船渠 |
運用者 | 大日本帝国海軍 復員庁 |
艦種 | 海防艦 行動不能艦艇(復員庁) |
級名 | 鵜来型海防艦 |
建造費 | 6,200,000円(予算成立時の価格) |
艦歴 | |
計画 | 改⑤計画 |
起工 | 1945年3月14日 |
進水 | 1945年6月15日 |
最期 | 1945年8月17日 工程92%で工事中止、1948年浦賀船渠で解体 |
要目(計画時) | |
基準排水量 | 940トン |
全長 | 78.77m |
最大幅 | 9.10m |
吃水 | 3.06m |
主機 | 艦本式22号10型ディーゼル2基 |
推進 | 2軸 |
出力 | 4,200hp |
速力 | 19.5ノット |
燃料 | 重油 120トン |
航続距離 | 16ノットで5,000カイリ |
乗員 | 定員149名 |
兵装 | 45口径12cm高角砲 連装1基、単装1基 25mm機銃 3連装2基 九四式爆雷投射機2基 三式爆雷投射機16基 爆雷120個 |
搭載艇 | 短艇3隻 |
レーダー | 22号電探1基 |
ソナー | 九三式水中聴音機1基 三式水中探信儀2基 |
室津(むろつ)は、日本海軍の未成海防艦。法令上は鵜来型海防艦の13番艦[注釈 1]。
起工までの経緯
[編集]改⑤計画の海防艦、第5251号艦型の13番艦[注釈 2]、仮称艦名第5263号艦として計画。未起工艦のうち日立造船に建造が割り当てられていた艦は通称「日振型」として建造されることになるが、マル急計画艦と異なり掃海具を装備せずに九四式爆雷投射機と三型爆雷装填台を1基ずつ増備する変更がされた。
艦歴
[編集]1945年(昭和20年)3月14日、浦賀船渠株式会社で建造番号578番船として起工。5月5日、室津と命名されて鵜来型海防艦の12番艦に定められ[注釈 1]、本籍を呉鎮守府と仮定。6月15日、進水。7月1日、艤装員事務所を横須賀市谷戸の浦賀船渠株式会社浦賀造船所内に設置し事務開始。
終戦時未成。8月17日、工程92%で工事中止。その後特別輸送艦として工事続行の許可を得たが、復員輸送の進展により中止となり浦賀造船所岸壁で繋留。1947年(昭和22年)2月1日、横須賀地方復員局所管の行動不能艦艇(特)に定められる。1948年(昭和23年)、浦賀船渠で解体。
艤装員長
[編集]- 三坂政吉 少佐:1945年6月30日 - 1945年8月20日
脚注
[編集]- 注釈
- ^ a b 艦艇類別等級別表上の通算番数。室津が艦艇類別等級に登載された1945年5月5日時点で屋久が同表から削除済みのため、法令を厳密に捉えるなら12番艦だが、屋久を含めると通算で13番艦となる。
- ^ 改⑤計画上の番数。
- 脚注
参考文献
[編集]- 海軍省、復員庁
- 法令、令達
- 昭和18年10月30日付 内令第2241号。
- 昭和20年4月10日付 内令第303号。
- 昭和20年5月5日付 達第97号、内令第380号、内令第388号、内令員第911号。
- 人事発令
- 昭和20年7月11日付 秘海軍辞令公報 甲 第1853号。
- 昭和20年9月3日付 海軍辞令公報 甲 第1903号。
- 通牒、その他
- 昭和20年7月18日付 秘海軍公報 第5072号。
- 昭和22年2月1日付 二復総第49号『行動不能艦艇保管實施要領ノ件通牒』。
- 昭和22年2月19日付 横管修第753号 『行動不能艦艇保管維持費の件請求』。
- 法令、令達
- 『浦賀・追浜百年の航跡 1897-1997』、住友重機械工業株式会社横須賀造船所、1997年。
- 『浦賀船渠六十年史』、浦賀船渠株式会社、1957年。
- 『世界の艦船』 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
- 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
- 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
- 防衛研修所戦史室 『戦史叢書』 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
- 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。