宮古民政府

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宮古民政府(みやこみんせいふ、Miyako Civil Government)は、アメリカ軍占領下の宮古諸島における行政機構で、1947年3月21日に設立された[1]宮古民政府知事として宮古支庁長で後のオリオンビール創業者である、具志堅宗精が任命された。また諮問機関として「宮古議会(後に宮古民政議会に改称)」が設置された。

民政府発足前の「宮古支庁」[編集]

沖縄戦によって沖縄県庁の機能が麻痺したことに伴い、米軍政府は「宮古支庁」に日本政府及び沖縄県庁の権限を代行するように命じた(1945年12月8日[1])。これにより、警察や司法や郵便の業務も宮古支庁の管轄となった。財源はかつての国税県税が当てられた。

「宮古支庁」の行政機構[編集]

  • 支庁長
    • 総務課
    • 労務課
    • 財務課
    • 産業課
    • 土木課
    • 衛生課
    • 警察署
    • 郵便局

宮古議会[編集]

宮古支庁の諮問機関として1946年に設置された宮古郡会が前身である。権限は予算審議や意見書の提出などであった。宮古民政府の発足に伴い宮古議会と改められた。1950年になり、宮古民政議会に改組された。

脚注[編集]

  1. ^ a b 『角川日本地名大事典 47 沖縄県』(1986年7月8日、角川書店発行)1065頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]