宮城県道2号石巻鮎川線
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主要地方道 | |
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宮城県道2号 石巻鮎川線 主要地方道 石巻鮎川線 | |
実延長 | 31.1 km |
制定年 | 1954年 |
起点 | 石巻市渡波町 【北緯38度25分8.7秒 東経141度21分59.3秒 / 北緯38.419083度 東経141.366472度】 |
終点 | 石巻市鮎川浜 【北緯38度17分42.5秒 東経141度30分37.6秒 / 北緯38.295139度 東経141.510444度】 |
接続する 主な道路 (記法) | 国道398号 宮城県道193号渡波停車場線 宮城県道41号女川牡鹿線 宮城県道220号牡鹿半島公園線 |
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宮城県道2号石巻鮎川線(みやぎけんどう2ごう いしのまきあゆかわせん)は、宮城県石巻市内を通る県道(主要地方道)である。
概要[編集]
石巻市渡波町(国道398号、宮城県道193号渡波停車場線交点)と旧牡鹿町の中心・鮎川地区を結ぶ道路で、牡鹿半島の西側を南北につなぐ。渡波と鮎川を結ぶ沿線住民の生活道路と、仙台方面から牡鹿半島、金華山方面への観光道路になっている。
三陸海岸を仙台湾(石巻湾)に沿って通っており、北上山地最南部の山道と太平洋に面した海浜とを行き来しながら進み、終点では宮城県道220号牡鹿半島公園線に連続する。
2011年に発生した東日本大震災からの復興住宅地として起点の渡波町と終点の鮎川浜の中間の大原浜から給分浜にかけて大規模団地が造成されている。
金華山へは、終点から海へ向かう道を進むと船着場がある。伊達政宗が建造したとされるサン・ファン・バウティスタ号復元船が係留されてある宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)へは、この県道がアクセス道路となっている[1]。
全線にわたって概ね藩政時代の金華山道を継承する。
路線データ[編集]
歴史[編集]
- 1954年(昭和29年)
- 1993年(平成5年)5月11日 - 建設省から、主要県道石巻鮎川線が石巻鮎川線として主要地方道に再指定される[4]。
- 1994年(平成6年)4月1日 - 県道番号を9から2へ変更。
- 2021年(令和3年)4月13日 - 十八成浜復興道路の一部区間 (670 m) が開通[5]。
- 2022年(令和4年)12月22日 - 給分浜復興道路事業 (2.0 km) が開通[6]。
路線状況[編集]
ほぼ全区間においてワインディングロードが続く線形で、牡鹿半島に入って最初の峠となる風越峠と、半島の中程にある小積峠はトンネルで抜ける。
国道398号から分岐して間もなく、万石橋で万石浦の湾口を跨ぎ牡鹿半島へ入る。牡鹿半島では終点の鮎川まで他のリアス式海岸の幹線道路と同様に、低地の漁村間をつなぐように小高い山を越えるルートをとる。沿線の各漁港は東日本大震災の津波でいずれも壊滅的な被害を受け、本道路の付け替えや防潮堤の整備を含む復興事業が施工された。
トンネル[編集]
地理[編集]
通過する自治体[編集]
交差する道路[編集]
- 国道398号・宮城県道193号渡波停車場線(石巻市渡波町1丁目)
- 宮城県道41号女川牡鹿線(石巻市大原浜)
- 宮城県道220号牡鹿半島公園線(石巻市鮎川浜)
沿線[編集]
脚注[編集]
- ^ 宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)
- ^ 宮城県土木部 (2015年3月20日). “平成26年度みやぎの道路” (PDF). 宮城県管理道路現況調書(みやぎの道路). 宮城県. pp. 33-24. 2015年6月23日閲覧。
- ^ みやぎの道路 - 33頁
- ^ s:道路法第五十六条の規定に基づく主要な都道府県道及び市道 - 平成五年五月十一日建設省告示第千二百七十号、建設省
- ^ “主要地方道石巻鮎川線十八成浜復興道路の一部供用開始について”. 宮城県 (2021年3月24日). 2021年4月13日閲覧。
- ^ “主要地方道 石巻鮎川線「給分浜復興道路」完成現場見学会のお知らせ” (PDF). 宮城県東部土木事務所 (2022年12月13日). 2022年12月22日閲覧。
- ^ a b 宮城県土木部 (2015年3月20日). “平成26年度みやぎの道路” (PDF). 宮城県管理道路現況調書(みやぎの道路). 宮城県. p. 58. 2015年6月23日閲覧。