富永孝太郎

ウィキペディアから無料の百科事典

富永 孝太郎(とみなが こうたろう、1867年1月18日慶応2年12月13日[1] - 1945年昭和20年)10月8日[2])は、日本の政治家衆議院議員(2期)。

経歴[編集]

新潟県出身[2]東京英和学校で学ぶ。アメリカに渡り、イリノイ大学で学ぶ。帰国後、新潟地方森林会議員、中頸城郡農会長、新潟県農友会長、美守村(のち三和村、現・上越市)議、同村長、産業組合中央会監事、同新潟支会長、至誠信用組合長、県信用組合連合会会長、百三十九銀行、新潟貯蓄銀行各取締役となる[2]

1920年第14回衆議院議員総選挙において新潟12区から立憲国民党公認で立候補して当選する[3]1924年第15回衆議院議員総選挙では革新倶楽部公認で立候補して再選した[4]。衆議院議員を2期務めた。1928年第16回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1945年死去。

脚注[編集]

  1. ^ 衆議院『第四十三回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1920年、9頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』431頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』66頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』73頁。

参考文献[編集]

  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。