富田容甫

ウィキペディアから無料の百科事典

富田容甫(とみた よすけ、1923年1月3日 - 1984年6月23日)は、昭和期北海道を代表する政治学者行政学者。恩師は尾形典男

来歴

[編集]

千葉県安房郡北条町(現・館山市)出身。1943年旧制第二高等学校文科卒業。東北帝国大学法学部に入学するも、同じ年に召集令状によって大日本帝国陸軍戦車連隊に入隊。1945年復員。1947年東北帝国大学法学部卒業。

北海道帝国大学法文学部助手。1952年北海道学芸大学学芸学部札幌分校岩見沢分教場助教授に就任。1954年北海道学芸大学学芸学部札幌分校助教授。1957年北海道大学法学部助教授。1962年北海道大学法学部教授。1965年北海道大学評議員に就任。1976年北海道大学評議員に再度就任。1984年北海道大学在職中に逝去

この他、北海道大学経済学部文学部札幌医科大学医学部、北海道教育大学教育学部旭川分校、藤女子大学文学部で非常勤講師も務めた。

研究領域

[編集]

政治原理論、選挙投票行動地方政治論、地方自治論など政治学全般に渡る。また、生涯に渡ってハロルド・ラスキを研究した。

業績

[編集]

門下生

[編集]

脚注

[編集]


参考文献

[編集]
  • 小川晃一「富田容甫教授の経歴と業績」『北大法学論集』第36巻第1-2号、北海道大学法学部、1985年9月、575-591頁、ISSN 0385-5953NAID 120000960540