小俣 勇造(おまた ゆうぞう、1840年10月28日(天保11年10月4日) - 1914年6月13日[1])は、日本の和算家。
武蔵国多摩郡矢野口に生まれる[1][2]。幼少期から算術を学び、1877年に東京に出て福田理軒から関流の和算を教授される[2]。郷里の矢野口村に和算塾を開いた[1][2]。1885年に門弟が算額を大國魂神社に奉納した(現存)[1][2]。同じ年に算術書『数理図解』を執筆した[2]。
1897年には穴澤天神社境内に「小俣君寿碑」という石碑が門弟により建立されている[2]。