小山令之

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小山令之

小山 令之(おやま よしゆき、1881年明治14年)4月14日[1] - 1938年昭和13年)10月25日[2])は、衆議院議員立憲民政党)、弁護士

経歴[編集]

熊本県飽田郡奥古閑村(現在の熊本市南区)出身。熊本中学校第五高等学校を経て、1909年(明治42年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業した。卒業後は熊本中学の教諭兼舎監となったが、辞して熊本市で弁護士を開業した。

熊本県会議員を2期務めた後、1930年(昭和5年)の第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。

その後、満州に渡り、弁護士業のかたわら熊本海外協会満洲本部長に就任した。奉天市で客死[2]

著書[編集]

  • 『小学教師之権利義務』(巌松堂、1911年)

脚注[編集]

  1. ^ 衆議院『第五十八回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1930年、33頁。
  2. ^ a b 衆議院事務局『衆議院議員略歴 第一回乃至第二十回総選挙』、1940年

参考文献[編集]

  • 『熊本県大観』警醒社、1935年。