小山田勘二
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小山田 勘二 | |
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生誕 | 1871年1月21日 薩摩国 鹿児島藩 |
死没 | 1921年11月30日 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1892年 - 1921年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
小山田 勘二(おやまだ かんじ、明治3年12月1日[1](1871年1月21日) - 1921年(大正10年)11月30日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[3]。
経歴・人物
[編集]薩摩国鹿児島藩(現・鹿児島県)出身[2][3]。1892年(明治25年)陸軍士官学校第3期卒業[2][3]。
1915年(大正4年)2月に豊橋連隊区司令官、1916年(大正5年)11月に陸軍歩兵大佐、1917年(大正6年)8月に歩兵第48連隊長を経て、1921年(大正10年)3月に陸軍少将・歩兵第27旅団長となり、同年10月に予備役に編入した[2][3]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。