小竹町 (練馬区)

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小竹町
小竹向原駅 2番出入口(2008年6月15日)
小竹向原駅 2番出入口(2008年6月15日)
小竹町の位置(東京都区部内)
小竹町
小竹町
小竹町の位置
北緯35度44分36.57秒 東経139度40分43.92秒 / 北緯35.7434917度 東経139.6788667度 / 35.7434917; 139.6788667
日本の旗 日本
都道府県 東京都
特別区 練馬区
面積
 • 合計 0.517 km2
人口
2017年(平成29年)12月1日現在)[2]
 • 合計 9,350人
 • 密度 18,000人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
176-0004[3]
市外局番 03[4]
ナンバープレート 練馬

小竹町(こたけちょう)は、東京都練馬区町名。現行行政地名は小竹町一丁目及び小竹町二丁目。住居表示実施済み区域である。郵便番号は176-0004[3]

地理[編集]

練馬区の東部に位置する。北部を板橋区小茂根、南部を同区旭丘、東部を板橋区向原、西部を同区羽沢栄町と接する。町内には、西武池袋線江古田駅北口と東京メトロ有楽町線東京メトロ副都心線西武有楽町線小竹向原駅がある。小竹向原駅練馬区小竹町と板橋区向原にまたがっているが小竹町側の改札口出入り口にはほとんど店などはない。スーパーマーケットファミリーレストランなどがあるのは向原側である。そのため小竹町の繁華街(小竹通り、日大通り、音大通り商店街)はもっぱら江古田駅側のみになる。しかし、基本的に小竹町二丁目は第一種低層住居専用地域のため3階以上の建物が建てられなかったり、商業活動に規制が厳しいため、ほとんどが住宅地として利用されている。また、小竹町と隣接する旭丘日本大学藝術学部羽沢武蔵野音楽大学などがあるため小竹向原駅江古田駅北口などは通学経路として利用されている。

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目 世帯数 人口
小竹町一丁目 2,984世帯 5,081人
小竹町二丁目 2,467世帯 4,269人
5,451世帯 9,350人

小・中学校の学区[編集]

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]

丁目 番地 小学校 中学校
小竹町一丁目 全域 練馬区立小竹小学校 練馬区立旭丘中学校
小竹町二丁目 全域

地価[編集]

住宅地の地価は、2015年平成27年)1月1日公示地価によれば、小竹町2-14-2の地点で45万円/m2となっている[6]

歴史[編集]

旧・武蔵国豊島郡上板橋村字小竹。小竹村として独立した扱いをされることもあった。徳川秀忠の庶子保科正之の母お静の方は武州板橋在竹村の大工ともいわれる神尾栄加の娘とされているが、この竹村は小竹村のことと考えられている。

1871年(明治4年)11月浦和県(現埼玉県)から東京府に編入された。1932年昭和7年)の板橋区成立時に小竹町となり、1947年(昭和22年)の練馬区成立時に江古田町(後の旭ヶ丘、現・旭丘)と共に移管された。1960年(昭和35年)、旭丘に一部を譲って地番整理を行い小竹町一丁目および二丁目となった。1987年(昭和62年)1月1日に住居表示を実施した。

小竹町と旭丘の2地域が練馬区に移管されたのは、元々板橋警察署江古田駐在所の管轄だったことに起源がある。江古田駐在所が1937年(昭和12年)の練馬警察署設置時に移管され、1944年(昭和19年)に板橋区役所練馬支所が設置された際にその管轄範囲を警察に合わせた。そして練馬区の独立時にその範囲をそのまま引き継いだためである。

地名の由来[編集]

地名の由来は諸説あり、不明である。

交通[編集]

鉄道[編集]

バス[編集]

都営バス

道路[編集]

施設[編集]

日本力行会

小竹町一丁目[編集]

小竹町二丁目[編集]

産業[編集]

農業[編集]

  • 販売農家数:0戸
  • 農業就業人口:0人
  • 経営耕地面積:0a

2000年(平成12年)2月1日現在、「練馬区統計書平成17年版 農業センサス」より。なお、ここに掲載したのは農業集落名が「小竹町」となっている農家)小竹町の農業は現在存在しない。自給的農家がわずかに2戸あるのみである。

工業[編集]

  • 工場数:4
  • 従業者数:108人
    • 常用労働者:108人
    • 事業主・家族従業者:0人
  • 製造品出荷額等:259,108(万円)
  • 付加価値額:138,449(万円)

2003年(平成15年)12月現在「練馬区統計書平成17年版 工業統計調査」より。なお一部非公表の丁目があるため、実際にはこれより数字は若干大きくなる)小竹町は区内でも工場数が格段に少ないが、従業者数50人~99人規模という区内でも比較的規模の大きな工場が一つあるため、町内に工業はあるといえる。平成12年(2000年)と比べると、工場数に変化はないものの、従業者数(142→108)・製造品出荷額等(33億222万→25億9108万)いずれも減少している。

ゆかりの人物[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 練馬区統計書 - 町丁別土地面積、気温、降水量の推移、住民基本台帳による世帯数と人口など”. 練馬区 (2016年10月1日). 2018年1月4日閲覧。
  2. ^ a b 世帯と人口(人口統計) - 町丁目別”. 練馬区 (2017年12月5日). 2018年1月4日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月4日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月4日閲覧。
  5. ^ 区立小中学校 学区域一覧”. 練馬区 (2017年8月24日). 2018年1月4日閲覧。
  6. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  7. ^ a b 練馬ゆかりの文化人 ゆかりの作家のご紹介”. 練馬区立石神井公園ふるさと文化館. 2021年3月12日閲覧。
  8. ^ 練馬区と図書館の現状等 資料3-1” (PDF). 練馬区立図書館 (2020年12月11日). 2021年3月12日閲覧。
  9. ^ 昭和の暮らしが刻まれた「佐々木邸」~同潤会が造った貴重な分譲住宅~”. 百年名家. BS朝日 (2021年4月25日). 2021年4月28日閲覧。
  10. ^ 佐野勝也「藤田嗣治の江古田アトリエで構想された 『白鳥の湖』舞台美術プラン- 1946年帝国劇場第1回東京バレエ團公演の劇場舞踊空間」(PDF)『舞踊學』第34号、2011年、2023年10月21日閲覧 
  11. ^ 鎗田清太郎『角川源義の時代 : 角川書店をいかにして興したか』角川書店、1995年10月27日、52-55頁。ISBN 4-04-883426-6 

外部リンク[編集]