小野寺麻理子

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おのでら まりこ
小野寺 麻里子
プロフィール
本名 小野寺 麻里子
性別 女性
出身地 日本の旗 日本大阪府[1]
生年月日 (1973-02-22) 1973年2月22日(51歳)
血液型 B型[2]
職業 声優
事務所 青二プロダクション(最終)[2][3]
活動
活動期間 1993年 - 1995年
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

小野寺 麻理子(おのでら まりこ、1973年[4]2月22日[1] - )は、日本の元声優大阪府出身[1]青二プロダクションに所属していたが[2][3]1995年に引退。

なお、デューク更家公認スタイリストの小野寺MARIKO(本名:小野寺麻理子、読みは同じ)とは同姓同名の別人。

人物[編集]

テレビアニメ『機動戦士ガンダム』が好きで、中学生ぐらいの時に初めて職業としての声優を知り、「いいなあ、こういう仕事」と思い、憧れていた[3]。しかし、その頃は、「自分がなりたい」、「なろう」などは全然思っていなかったという[3]。高校3年生の卒業も間近の頃に、友人が大阪府にも青二塾大阪校があるのを教えてくれた[3]。当時は大阪府に住んでおり、「そういう学校みたいなものは東京にしかない」と思ったが、その友人に「1カ月後にオーディションがあるよ」と言われ、「これはひょっとしたら、私を呼んでるんじゃないか?」と自分で勝手に勘違いしてしまった[3]。その時に、運命的な出会いのようなものを感じて、「受けてみようか」と思い、受けて同塾大阪校第九期に入塾[3]

小野寺が声優として名が知られたのはほんのわずかな期間ではあったが、当時は第三次声優ブームのまっただ中でもあり、注目の若手声優として声優専門誌に採り上げられる機会も少なからずあった。

特に、ラジオ番組『青春ラジメニア』で小野寺がゲストに招かれた時、パーソナリティの岩崎和夫が小野寺は将来声優界を引っ張るような大物になることをほのめかすように「彼女から風を感じた」とコメントしていた[5]。しかし、そのコメントからわずか数か月後、ゲームを中心に役も増えていき、これからという段階で小野寺は引退を宣言し、わずか2年間の声優活動に終止符を打った。その際、番組で岩崎は小野寺のことについてもう一度言及しており、「期待していたので残念ですが、彼女は彼女の考えがあってのことでしょう」とコメントしていた。

引退した明確な理由は不明だが、両親とのことが主な理由であるとも言われている。小野寺は声優を志望した当初から両親(特に母)に猛反対されており[3]、それをどうにか説き伏せて「一人暮らしを禁じ父も同居する」「(声優としての活動を許可するのは)2年間だけ」という妥協案を両親が渋々受け入れたと、引退間近の雑誌のインタビューで答えていた。

資格は小学校教諭二種免許[1]

4つ違いの兄がいる[4]

出演[編集]

太字はメインキャラクター。

テレビアニメ[編集]

劇場アニメ[編集]

OVA[編集]

ゲーム[編集]

ドラマCD[編集]

  • 同級生2 メモリアルミニシアター (1995年、田中美沙)

アニメCD[編集]

ビデオ[編集]

  • ヴォイスアクターSUPER Vol.1

ディスコグラフィー[編集]

  • Person(1995年7月25日)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 「青山二丁目物語2 第1回 はじめまして!! 私たちが’95年組です」『アニメージュ』1995年1月号、徳間書店、1995年1月10日、34-35頁。 
  2. ^ a b c 「小野寺麻理子」『声優グランプリ』Vol.3、主婦の友社、1995年8月20日、123頁。 
  3. ^ a b c d e f g h 「声優グランプリ・バックアップ・レビュー 小野寺麻理子」『声優グランプリ』Vol.1、主婦の友社、1995年1月10日、52-54頁。 
  4. ^ a b 「青山二丁目物語2 第2回 ’94年から’95年 へ…引き継ぎリレー対談一挙公開(前編)」『アニメージュ』1995年2月号、徳間書店、1995年2月10日、102-105頁。 
  5. ^ 岩崎はデビュー間もない林原めぐみをゲストに呼んだ時も同じようなコメントをしており、そのコメント通り林原は声優界の大物になった。
  6. ^ PCエンジン版のみ。小野寺の引退後はこおろぎさとみが引き継いだ。
  7. ^ 小野寺の引退後は古山あゆみが引き継いでおり、PC-FXソフト『ファーストKiss☆物語』収録ミニゲーム『ヒューネックスファイターズ'98』では古山の担当になっている。また同時に、ナビの声もかないみかから大野まりなに引き継がれた。

外部リンク[編集]