山本哲哉

ウィキペディアから無料の百科事典

山本 哲哉
東京ヤクルトスワローズ 
二軍投手兼育成担当コーチ #92
2013年4月7日、明治神宮野球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 和歌山県日高郡由良町
生年月日 (1985-09-04) 1985年9月4日(38歳)
身長
体重
178 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2009年 ドラフト2位
初出場 2011年8月20日
最終出場 2018年10月8日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 東京ヤクルトスワローズ (2021 - )

山本 哲哉(やまもと てつや、1985年9月4日 - )は、和歌山県日高郡由良町出身の元プロ野球選手投手)、コーチ

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

小学1年から白崎少年で野球を始め、中学時代は和歌山ライオンズでプレー。南部高校では岡本洋介の控えだった。

近畿大学では3年春から登板。3年秋、京都大学戦で初先発、5安打無四球で完封初勝利。以後、大隣憲司につぐ先発2番手として活躍。4年秋はリリーフ、抑えにまわり、チーム優勝に貢献した。リーグ通算20試合登板、5勝1敗、防御率1.25。近大の同期に小瀬浩之、3学年先輩に藤田一也、2学年後輩に俊介荒木貴裕がいた。

その後、三菱重工神戸に入社。1年目からエースとなり、第79回第80回と2年連続してチームを都市対抗野球出場に導く。特に第80回大会では最高球速148キロを記録した。

同年10月29日のドラフト会議東京ヤクルトスワローズから2位指名を受け、11月27日に契約金7500万円、年俸1200万円で仮契約した(金額は推定)。この年のドラフト3位で前述の荒木も指名されたため、プロでも荒木と再びチームメイトになった。

プロ入り後[編集]

2010年はオープン戦最初の登板で好投したものの、その試合後に肘痛を訴え、検査の結果靱帯を損傷していることが判明。トミー・ジョン手術を受けたため、一・二軍とも公式戦出場なしに終わった。

2011年は怪我明けの影響から思うようなピッチングができなかった。

2012年はシーズン中盤にバーネットが離脱して以降は、セットアッパーに定着し、勝ちパターンでの起用が多くなる。2012年度の成績は50試合に登板して防御率1.21と好成績を記録した。

2013年もセットアッパーとして開幕を迎えたが、バーネットの不調もありシーズン序盤から抑えに回り11セーブを記録。中盤からは新人の石山泰稚との配置転換により再びセットアッパーとなり、自己最多の64試合に登板、25ホールドを記録した。

2014年は投手陣が全体的に低調だったこともあって、開幕後7試合中6試合に登板するなどシーズン序盤から登板を重ねた。7月に3試合連続で失点を喫し1度登録抹消となった[1]ものの、3年連続50試合登板をクリアした。一方でホールド数、防御率の面では数字を落とした。

2015年は一軍で17試合の登板にとどまる。その後9月に2度目の右肘内側側副靱帯再建手術(トミー・ジョン手術)を受けた[2]

2016年は前年の手術の影響で一軍登板がなかった。

2018年9月30日に現役を引退することを発表[3]。10月8日、明治神宮野球場での阪神タイガース戦の7回表に引退登板し陽川尚将を中飛に打ち取り、同じくこの日引退する松岡健一と交代した[4]。試合後には引退セレモニーが行われ、ファンや関係者に感謝を伝えた[5]

引退後[編集]

2019年から同球団のスカウトを2年間務めた[6]。自身が担当した選手には木澤尚文[7]杉山晃基[8]らがいる。

2021年からは、二軍育成投手コーチとして現場に復帰[9]2024年からは二軍投手兼育成担当コーチを務める[10]

選手としての特徴・人物[編集]

力強い速球に加え[11]、縦変化のスライダーフォークなどを武器としている右腕[12][13]。現役時代は3年連続で50試合以上に登板するなど主にセットアッパーとして活躍した[13]

実直な人柄の持ち主であり、誠実に取り組む姿勢からチームメイトに好影響を与える存在[13]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2011 ヤクルト 9 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 38 8.2 10 0 3 0 0 5 0 0 4 4 4.15 1.51
2012 50 0 0 0 0 2 2 0 17 .500 183 44.2 41 1 15 0 3 38 1 0 6 6 1.21 1.26
2013 64 0 0 0 0 1 3 11 25 .250 250 59.2 57 8 17 1 2 38 3 0 24 19 2.87 1.24
2014 52 0 0 0 0 3 4 3 10 .429 207 45.2 54 4 18 0 2 22 0 0 21 18 3.55 1.58
2015 17 0 0 0 0 0 0 0 2 ---- 72 17.1 20 1 2 0 1 11 0 0 6 6 3.12 1.27
2017 32 0 0 0 0 0 1 0 1 .000 155 34.0 42 4 13 0 1 10 2 0 21 18 4.76 1.62
2018 4 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 19 4.0 5 1 1 0 0 0 0 0 2 2 4.50 1.50
通算:7年 228 0 0 0 0 6 11 14 55 .353 924 214.0 229 19 69 1 9 124 6 0 84 73 3.07 1.39

年度別守備成績[編集]



投手












2011 ヤクルト 9 0 0 0 0 ----
2012 50 3 2 0 0 1.000
2013 64 0 7 1 1 .875
2014 52 2 8 1 1 .909
2015 17 2 3 1 1 .833
2017 32 2 4 1 0 .857
2018 4 1 1 0 0 1.000
通算 228 10 25 4 3 .897

記録[編集]

初記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 20(2010年 - 2018年)
  • 92(2021年 - )

登場曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 山本哲、3試合連続失点で2軍降格…ヤクルトは借金今季最多12”. サンケイスポーツ (2014年7月12日). 2021年4月5日閲覧。
  2. ^ ヤクルト・山本が10日に右肘手術受ける 全治1年の見込み”. サンケイスポーツ (2015年9月11日). 2021年4月5日閲覧。
  3. ^ “ヤクルト山本哲哉が引退「9年間応援ありがとう」”. 日刊スポーツ. (2018年9月30日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201809300000465.html 2018年9月30日閲覧。 
  4. ^ SANKEI DIGITAL INC (2018年10月8日). “ヤクルト・山本&松岡が引退登板 投手リレーで1回を無失点”. SANSPO.COM. 2021年4月9日閲覧。
  5. ^ 【引退あいさつ】ヤクルト・山本「抑えたことよりも、打たれたことの方が…」”. サンケイスポーツ (2018年10月8日). 2021年4月9日閲覧。
  6. ^ ヤクルト・山本哲哉 ブルペン支えた9年糧に、スカウトとして再出発”. デイリースポーツ (2018年12月22日). 2019年3月15日閲覧。
  7. ^ SANKEI DIGITAL INC (2020年11月21日). “獲るぞ新人王!ヤクルトD1位指名・木沢「1年間1軍で投げる」燕背番『20』の先輩・伊藤智に続く”. サンケイスポーツ. 2021年4月9日閲覧。
  8. ^ SANKEI DIGITAL INC (2019年10月18日). “ヤクルトD3位の創価大・杉山が1年目からの活躍を誓う/ドラフト”. サンケイスポーツ. 2021年4月9日閲覧。
  9. ^ ヤクルトが来季の組閣発表 前オリックスの佐藤氏が2軍外野守備走塁コーチ”. Full-Count (2020年12月2日). 2021年4月9日閲覧。
  10. ^ “【ヤクルト】城石憲之氏が総合コーチ就任 土橋勝征氏は内野守備部門を兼務/2軍スタッフ一覧”. 日刊スポーツ. (2023年11月8日). https://www.nikkansports.com/m/baseball/news/202311080001068_m.html 2023年11月9日閲覧。 
  11. ^ ヤクルト、山本と松岡が現役引退 ともにセットアップとして活躍「応援ありがとう」”. ベースボールチャンネル(BaseBall Channel) (2018年9月30日). 2021年9月8日閲覧。
  12. ^ ヤクルト山本哲が我流の縦スラで2回0封 - 野球ニュース”. 日刊スポーツ (2010年2月21日). 2021年9月8日閲覧。
  13. ^ a b c ヤクルト・山本、今季限りで引退…12年から3年連続50戦以上登板の中継ぎ右腕”. サンケイスポーツ (2018年9月28日). 2021年9月8日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]