岡里明美
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愛称 | アケ | |||||||||||||||||
日本語 | 岡里明美 | |||||||||||||||||
国籍 | 日本 | |||||||||||||||||
生年月日 | 1974年7月24日(50歳) | |||||||||||||||||
出身地 | 茨城県 | |||||||||||||||||
身長(現役時) | 178cm (5 ft 10 in) | |||||||||||||||||
体重(現役時) | 64kg (141 lb) | |||||||||||||||||
選手経歴 | ||||||||||||||||||
1993-2003 | シャンソン化粧品 | |||||||||||||||||
指導者経歴 | ||||||||||||||||||
2009-2012 | 富士通レッドウェーブ | |||||||||||||||||
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岡里 明美(おかざと あけみ、1974年7月24日 - )は、茨城県出身の元バスケットボール選手である。ポジションはG/F。現役時代はシャンソンVマジックに所属。現役時代は3Pシュートの名手として全日本で活躍した。
来歴
[編集]選手時代
[編集]名古屋短期大学附属高等学校(現・桜花学園高等学校)では1、3年時に高校三冠を獲得。
卒業後、シャンソン化粧品入社。日本リーグ〜Wリーグ10連覇などのシャンソン黄金時代を支えた。
また、1年目より全日本に選出され、ジュニア世界選手権を経験後、1996年にはアトランタ五輪に出場し7位入賞に貢献。1998年のバンコクアジア大会では金メダルを獲得した。
2003年、アテネ五輪予選を兼ねるアジア選手権の選考合宿で代表から落選。これを機に現役を退いた。
指導者
[編集]引退後はバスケから離れ、エアロビクスのインストラクターなどをしていたが、2005年、恩師である中川文一ヘッドコーチの誘いを受け、富士通レッドウェーブのアシスタントコーチに就任。
2009年に中川の日本代表HC就任に伴う退任のため、HCに昇格。Wリーグにおける日本人女性HCは初[1]であったが、2012年に退任。
現在は一般社団法人トレジャーリングにてバスケットボールクリニックのコーチ。
経歴
[編集]- 選手歴
- 名古屋短大高校 - シャンソン化粧品(1993年〜2003年)
- 指導歴
- 富士通HC(2009年〜2012年)
日本代表歴
[編集]- 1993ジュニア世界選手権
- 1994世界選手権
- 広島アジア大会
- アトランタ五輪
- 1998世界選手権
- バンコクアジア大会
- 2002世界選手権
- 釜山アジア大会
受賞歴
[編集]- 2002年間ベスト5賞
脚注
[編集]- ^ 外国人女性HCとしては過去に李玉慈がシャンソン・富士通を率いたことがある。また、WIリーグでは炭田久美子が山梨クィーンビーズのHCに就任しており、三菱電機もWI降格後に田邉広子がHCに就任していた。