岸本健
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岸本 健 きしもと たけし | |
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生年月日 | 1970年8月3日(54歳) |
出生地 | 日本 和歌山県那賀郡粉河町 (現・紀の川市) |
出身校 | 拓殖大学商学部貿易学科 |
前職 | 中学校社会科教諭 |
所属政党 | (無所属→) (自由党→) (民主党→) (無所属→) (自由民主党→) 無所属 |
親族 | 父・岸本光造(元衆議院議員) |
公式サイト | 市長の部屋(紀の川市) |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2022年2月27日[1] - 現職 |
和歌山県議会議員 | |
選挙区 | 紀の川市選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 2007年 - 2022年1月24日 |
選挙区 | 比例近畿ブロック(和歌山2区) |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2003年11月9日 - 2005年8月8日 |
岸本 健(きしもと たけし、1970年(昭和45年)8月3日[2] ‐ )は、日本の政治家。和歌山県紀の川市長(1期)。
経歴・政歴
[編集]- 和歌山県那賀郡粉河町(現・紀の川市)出身。和歌山県立粉河高等学校を経て、1993年3月、拓殖大学商学部貿易学科卒業。
- 和歌山県立那賀高等学校講師を経て、和歌山県中学校社会科教諭。
- 2002年 - 父で自由民主党衆議院議員の岸本光造が死去。これに伴う衆議院議員和歌山県第2区補欠選挙に自民党公認で出馬しようとしたが、後継をめぐり海南市長の石田真敏との公認争いに敗れ、無所属(民主党・自由党・無所属の会推薦)で立候補。石田に敗れ落選。
- 2002年 - 補欠選挙後、自由党に入党。衆議院議員・小沢一郎の秘書となる。
- 2003年 - 自由党と民主党の合併に伴い、小沢とともに民主党に合流。
- 2003年 - 第43回衆議院議員総選挙に和歌山県第2区から民主党公認で立候補。小選挙区では敗れるも、比例近畿ブロックで復活当選(惜敗率81.8%)。
- 2005年 - 第44回衆議院議員総選挙に和歌山県第2区から民主党公認で立候補。小選挙区で敗れ、比例復活もならず落選。
- 2007年 - 民主党を離党して、和歌山県議会議員選挙に紀の川市選挙区から無所属で出馬し、第3位で(8183票)当選。自民党会派への入会を希望するが、自民党県連からの反発が大きく系列議員と共に「清新クラブ」を結成した。
- 2009年 - 三人会派「清新クラブ」を解消し、自由民主党県議団に合流。
- 2011年 - 和歌山県議会議員選挙に紀の川市選挙区から自由民主党公認で出馬し再選。
- 2015年 - 和歌山県議会議員選挙に紀の川市選挙区から自由民主党公認で出馬し無投票で3選。2018年副議長に就任。2019年も無投票で4選。同年から議長に就任。2年務めた。
- 2022年1月24日、中村愼司の死去に伴い行われる紀の川市長選挙への立候補を表明。同日付で和歌山県議会議員を辞職[3]。
- 2022年2月27日、紀の川市長選挙の投開票の結果、元市議会議員の森田幾久を破り当選[4]。
政策
[編集]- 空の玄関口であり世界の扉である関西国際空港と近畿圏の外郭環状を形成する高規格幹線道路である京奈和道を「直結」させることで、地域の魅力を世界にアプローチするため、京奈和関空連絡道路の実現を目指す。
人物
[編集]所属団体・議員連盟
[編集]親族・家族
[編集]- 父・岸本光造(自由民主党元衆議院議員)
脚注
[編集]- ^ [和歌山]紀の川市長選、岸本氏が新人の一騎討ちを制して初当選政治山(2022年2月27日)、本文中に任期の行あり
- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、319頁。
- ^ “前市長死去に伴う紀の川市長選・岸本健県議が出馬表明”. 和歌山放送. (2022年1月24日) 2022年2月4日閲覧。
- ^ “紀の川市長選 岸本氏初当選”. テレビ和歌山. (2022年2月27日) 2022年2月27日閲覧。
外部リンク
[編集]公職 | ||
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先代 中村愼司 | 和歌山県紀の川市長 2022年 - | 次代 現職 |