岸本秀樹
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府綴喜郡宇治田原町 |
生年月日 | 1982年10月18日(42歳) |
身長 体重 | 189 cm 81 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2004年 ドラフト5巡目 |
初出場 | 2005年4月3日 |
最終出場 | 2012年9月11日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について |
岸本 秀樹(きしもと ひでき、1982年10月18日 - )は京都府綴喜郡宇治田原町出身の元プロ野球選手(投手)。現在は広島東洋カープのスコアラーを務める。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]1999年、2年時に平安高校(現:龍谷大平安高校)時代に選抜大会に出場。ベスト8まで進出したが登板なし。
2001年に近畿大学へ進学。3年秋のリーグ戦で初登板するが、抑え中心で先発は1試合のみ。通算で4年秋の2勝にとどまった[1]。
2004年度ドラフト会議にて横浜ベイスターズから5巡目指名を受けて入団。
横浜時代
[編集]2005年シーズンは、ルーキーながら開幕一軍入りを勝ち取り、4月3日の対中日ドラゴンズ3回戦でプロ初登板を果たした。
2007年シーズンオフに小山田保裕との交換トレードで、木村昇吾とともに広島東洋カープへ移籍。
広島時代
[編集]2008年は速球派の少ない中継ぎ事情もあり、積極的に起用される。5月4日の古巣・横浜戦ではプロ初勝利を挙げた[2]。安定感に欠け、敗戦処理中心で大きな信頼を勝ち取るには至らなかったものの、横浜3年間の通算24試合登板を上回る37試合に登板した。
2009年は一軍登板がなく、二軍でも防御率5点台と不調だった。
2010年は開幕一軍入りを果たしたものの4月に二軍降格となった。5月始めに再び一軍に登録され、終盤の9月に左膝痛で離脱するまで、リリーフ投手として自己最多の51試合に登板した。
2011年は抑え投手のデニス・サファテに繋ぐセットアッパーとして起用され42試合に登板。シーズン終盤に調子を崩し最終的には防御率4.17だったが、8月上旬までは防御率2点台と好調を維持し、WHIPは1.26を記録した。好投の要因としてはフォークボールの制球が改善したことが挙げられている[3][4]。
2012年も開幕一軍入りを果たし、13試合目の登板となった5月8日の対阪神タイガース戦の終了時点で防御率0.60を記録したように、シーズン序盤はまずまずの投球を披露した。ところが、以後は一転して失点を重ねる場面が目立つようになり、交流戦終了後に二軍へ降格。以後は7月と9月に1試合ずつ登板するも、いずれの試合でも打ち込まれた。この年は27試合に登板するも、防御率は6.75、WHIPは1.71と大幅に悪化した。
2013年は4年ぶりに一軍公式戦での登板機会がなく、10月1日付で戦力外通告を受けた[5]。通告を受けてから2度にわたって12球団合同トライアウトに参加したものの現役を引退。2014年からは広島のスコアラーに転身する[6]。
選手としての特徴
[編集]恵まれた体格から繰り出す平均球速約142km/h[7]、最速153km/hのストレートを武器とし、変化球はスライダーとフォークを投げ分け、2010年からはツーシームも投げるようになった[8]。2009年には与四球率4.62を記録するなど四球が多い。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
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2005 | 横浜 | 15 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 84 | 19.1 | 17 | 2 | 13 | 0 | 1 | 11 | 0 | 0 | 10 | 10 | 4.66 | 1.55 |
2006 | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 72 | 15.1 | 21 | 0 | 7 | 0 | 2 | 11 | 0 | 1 | 9 | 8 | 4.70 | 1.83 | |
2007 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 17 | 4.0 | 5 | 2 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 2 | 2 | 4.50 | 1.25 | |
2008 | 広島 | 37 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 4 | .500 | 163 | 35.1 | 37 | 2 | 18 | 0 | 3 | 27 | 4 | 0 | 25 | 21 | 5.35 | 1.56 |
2010 | 51 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 10 | .333 | 286 | 60.1 | 86 | 6 | 21 | 0 | 5 | 45 | 3 | 3 | 44 | 40 | 5.97 | 1.77 | |
2011 | 42 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | 10 | .600 | 193 | 45.1 | 38 | 1 | 19 | 3 | 4 | 46 | 3 | 1 | 21 | 21 | 4.17 | 1.26 | |
2012 | 27 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 3 | .000 | 114 | 24.0 | 24 | 1 | 17 | 2 | 0 | 27 | 2 | 0 | 20 | 18 | 6.75 | 1.71 | |
通算:7年 | 181 | 4 | 0 | 0 | 0 | 6 | 9 | 0 | 27 | .400 | 929 | 203.2 | 228 | 14 | 95 | 5 | 15 | 171 | 12 | 5 | 131 | 120 | 5.30 | 1.59 |
記録
[編集]- 初登板:2005年4月3日、対中日ドラゴンズ3回戦(ナゴヤドーム)、9回裏に4番手で救援登板、2/3回1失点
- 初奪三振:2005年4月23日、対阪神タイガース5回戦(横浜スタジアム)、8回表に桧山進次郎から空振り三振
- 初先発:2005年8月18日、対阪神タイガース18回戦(大阪ドーム)、2回3失点
- 初勝利:2008年5月4日、対横浜ベイスターズ8回戦(広島市民球場)、8回表に5番手で救援登板、1回1失点
- 初ホールド:2008年5月6日、対中日ドラゴンズ7回戦(ナゴヤドーム)、10回裏に5番手で救援登板、2/3回無失点
背番号
[編集]- 41(2005年 - 2007年)
- 48(2008年 - 2013年)
脚注
[編集]- ^ 2005プロ野球プレイヤーズ名鑑 スポーツニッポン新聞社
- ^ “広島が逆転で4連勝”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2008年5月4日) 2013年4月26日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “【広島】岸本不調でも抑えるフォーム模索”. 日刊スポーツ. (2011年11月10日) 2011年11月12日閲覧。
- ^ “広島岸本“中継ぎ譲らない”新球も習得だ”. 日刊スポーツ. (2011年11月11日) 2011年11月12日閲覧。
- ^ “来季の選手契約について”. 広島東洋カープ公式サイト (2013年10月1日). 2013年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月3日閲覧。
- ^ “惜別球人2013【広島】岸本 秀樹投手”. Sponichi Annex 野球 (2013年12月16日). 2013年12月16日閲覧。
- ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2012年、145頁頁。ISBN 978-4-905411-04-8。
- ^ 『週刊ベースボール』2011年5号、ベースボール・マガジン社、雑誌20441-2/7、58頁。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 岸本秀樹 - NPB.jp 日本野球機構